つかれたぁーーー。ほんとーーに、つかれた。
このつかれは、一生とれないなぁ。たぶん……。ながい……。ながすぎる。ヘビメタ騒音がはじまったときからずっととれないつかれがある。
二の曜日の午後2時9分。この時間帯もヘビメタがものすごい音で鳴っていた。どれだけ「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」「やめてくれ」と言ってもやめてくれなかった。それで、「なにもしたつもりがない」わけだからな。くさっている。きちがい親父も、きちがい兄貴も脳みその構造がおなじ。これ、普通なら、ほんとうに、どれだけ鳴らしたくても、がまんしなければならない音なんだよ。我慢して鳴らさないようにしなければならない音なんだよ。そういうでかさだ。これがわかってないのである。「よそのひと」にはこれがわかってない。「よそのひと」は、そういう音に毎日さらされた場合、どういう状態になるか、まったくわかってない。自分の経験をとおして、自分のからだでわかっているわけじゃないから、想像でものを言うことになる。その想像のなかでは、「たいした騒音じゃない」のである。鳴っていても、影響をうけないことが可能な騒音」なのである。「鳴り終わったら、どれだけ長くなっていても、関係がない騒音」なのである。いまの状態には、関係がないという意味だ。これは、一日のなかでも、人生のなかでも言える。これ、ほんとうに、ぜんぜんちがうのに、まるでわかってないんだよな。「よそのひと」はきちがい兄貴の態度も、きちがい親父の態度もわかってない。よそのひと」はきちがい兄貴の感覚も、きちがい親父の感覚もわかってない。だから、好き勝手なことが言える。ほんとうに、「よそのいえ」だったら、絶対に鳴らせない音なんだよ。そして、仮に、長男が鳴らしたとしても、絶対に、「よそのいえ」だったら、二日でやめさせられることなんだよ。二日以上鳴っているようなことがない音なんだよ。普通の家だったら、その長男は、絶対にベッド本をして鳴らすということになるんだよ。一日中、ヘビメタを鳴らすときは、ヘッド本をして鳴らすということになるんだよ。あるいは、一日中、普通の人が聞くような音で鳴らすということになるんだよ。ぜんーーぜん、ちがう。こういう日々、が、続いたときのからだの状態なんて、本当にみんなわかってない。わかってないから、「ヘビメタ騒音の影響はない」「過去のことなら関係がない」という前提で物事を言う。それは、実際に鳴らされなかったから言えることだ。きちがい家族に鳴らされることがなかったから、言えることだ。きちがい家族が、しつこくしつこく、普通の家ではありえない状態で、鳴らすことがなかったから言えることだ。人生のなかで、そういう「毎日」が十年以上続くということがなかったから、言えることだ。ぜんぜんちがうのに……こいつら……好き勝手なことを言いやがって。