やっぱり、親父が導入したネズミの存在がでかい。しかも、親父が約3年間、ネズミ対策工事に反対したので、そのあいだに、ネズミの糞が増えた。で、防衛していたのだけど、二階の西側の部屋にも入った。その部屋には、ぼくの本がたくさんつまっているのだ。どうしようかな。あそこは、ネズミの糞を掃除しようとして、入ったら、めちゃくちゃにダニに刺されたので、入れなくなっている部屋だ。本に、バルサンの煙をつけたくない。ほんとうに、いやなんだよな。ほんとうに、ネズミの糞とダニの存在で、片づけるというのが、ものすごく難しいことになってしまった。やる気がしない。もう、さんざん、ネズミの糞を片づけてきたけど、ものがあると、うまく片づけられないところが出てくるのだ。ほんとうに、いろいろなところに落ちている。自分の頭よりも高いところにある平面に落ちている。たとえば、本棚とか神棚とか。粗大ごみ業者を頼むときだって、ネズミの糞のこととダニのことを説明しなければならないので、ぼくが、恥をかくのである。いつもいつも、ほんとうに、ずっとずっと、きちがい親父にかかわるということになるんだよな。かかわらないわけにはかいないんだよ。これ、人間として成熟した親に育てられた人にはまったくわからないだろうけど、親父は、きちがいだ。おかしい。けど、そのおかしさが、ほかの人にはまったくわからないのである。どうしてかというと、そういう親にたたられたことがないからだ。そういう親とおなじうちで暮らしたことがないからだ。上司であれば、会社を辞めれば縁がきれる。しかも、成人して働いているのだろう。まあ、未成年のときもあるかもしれないけど、いちおう体は大きくなっているとしで働いているということになる。じゃあ、たとえば、15歳から働き始めたとして、15歳までの15年間は、でかい15年間じゃないのかということだ。これ、ちがうじゃないか。1歳のときから、影響をうけている。うまれたときから影響をうけている。小さいときの影響は、でかい。15歳になったときには、14年間、ずっと影響をうけている状態なのである。
いっしょに住んでいても、影響をうける必要がないとか、そういう言いまわしはよくないと思うんだよね。影響をうける必要があるのか、影響をうける必要がないのか、判断したあとに、影響をうけようと思って、影響をうけているというわけではないのだから……。そういうことを無視して、あたかも、影響をうけないことが可能であるのに、その可能なことを、さぼってやらなかったからダメなんだと、ダメダシをする。責任を追及する。これは、きたない。そして、そういう言いまわしを選ぶやつは、実際には、きちがい的な親にやられたわけではないやつなのだ。まともな親に育てられたやつが、そういうことを言う。まともな親に育てられたやつのほうが、社会的な地位が高いことが多いので、普通の人は、そいつが言うことを信じてしまう。普通の人というのも、けっきょくは、きちがい的な親にたたられてない、人だ。普通の親に育てられた普通の人だ。普通の人であっても、考え方のちがいや、言った言わなかったというタイプのあらそいはしょうじる。けど、それは、普通の人同士のあらそいだ。いっぽうが、きちがいである場合は、ちがうんだよ。けど、普通の人は、それがわからない。どうしても、普通の人が経験したトラブルの延長線で、きちがい的な人とのトラブルについて考えてしまう。特に、親兄弟といった家族に関しては、普通の人である親兄弟とのトラブルの延長線で考えてしまう。けど、ちがうんだよ。これ、普通の親に育てられた人に、きちがい的な親のことについて語ってもわからないと思う。だから、「影響をうけないことは可能なのに、影響をうけたからダメなんだ」というような意見がうかんでくるわけだから。影響をうけないことは不可能だとこっちが言っても、そいつらは、「強い意志をもっていれば影響をうけないことは可能だ」という意見をかえない。
ほんとうに、きちがいがどういう態度で、どういう行為でたたるのか、(きちがいにやられてない人は)わからない。家のなかにきちがいがいるということがどういうことなのかわからない。そのきちがいが、自分の親である場合、どんなことになるかわかってない。あたかも、影響をうけないことが可能だという前提でものを言うのは、やめろ。それは、失礼なことだぞ。自分がやられてないからわかってないだけだ。
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なにを見ても、いやなことを思い出すなぁ。これも、しかたがない。実際この世で経験したことなのだから、記憶がある。人間には学習能力があるので、いやなことも学習してしまう。