2022年9月10日土曜日

普通の親に育てられた人は、きちがい的な親にやられた人のことがわからない

 やっぱり、親父が導入したネズミの存在がでかい。しかも、親父が約3年間、ネズミ対策工事に反対したので、そのあいだに、ネズミの糞が増えた。で、防衛していたのだけど、二階の西側の部屋にも入った。その部屋には、ぼくの本がたくさんつまっているのだ。どうしようかな。あそこは、ネズミの糞を掃除しようとして、入ったら、めちゃくちゃにダニに刺されたので、入れなくなっている部屋だ。本に、バルサンの煙をつけたくない。ほんとうに、いやなんだよな。ほんとうに、ネズミの糞とダニの存在で、片づけるというのが、ものすごく難しいことになってしまった。やる気がしない。もう、さんざん、ネズミの糞を片づけてきたけど、ものがあると、うまく片づけられないところが出てくるのだ。ほんとうに、いろいろなところに落ちている。自分の頭よりも高いところにある平面に落ちている。たとえば、本棚とか神棚とか。粗大ごみ業者を頼むときだって、ネズミの糞のこととダニのことを説明しなければならないので、ぼくが、恥をかくのである。いつもいつも、ほんとうに、ずっとずっと、きちがい親父にかかわるということになるんだよな。かかわらないわけにはかいないんだよ。これ、人間として成熟した親に育てられた人にはまったくわからないだろうけど、親父は、きちがいだ。おかしい。けど、そのおかしさが、ほかの人にはまったくわからないのである。どうしてかというと、そういう親にたたられたことがないからだ。そういう親とおなじうちで暮らしたことがないからだ。上司であれば、会社を辞めれば縁がきれる。しかも、成人して働いているのだろう。まあ、未成年のときもあるかもしれないけど、いちおう体は大きくなっているとしで働いているということになる。じゃあ、たとえば、15歳から働き始めたとして、15歳までの15年間は、でかい15年間じゃないのかということだ。これ、ちがうじゃないか。1歳のときから、影響をうけている。うまれたときから影響をうけている。小さいときの影響は、でかい。15歳になったときには、14年間、ずっと影響をうけている状態なのである。

いっしょに住んでいても、影響をうける必要がないとか、そういう言いまわしはよくないと思うんだよね。影響をうける必要があるのか、影響をうける必要がないのか、判断したあとに、影響をうけようと思って、影響をうけているというわけではないのだから……。そういうことを無視して、あたかも、影響をうけないことが可能であるのに、その可能なことを、さぼってやらなかったからダメなんだと、ダメダシをする。責任を追及する。これは、きたない。そして、そういう言いまわしを選ぶやつは、実際には、きちがい的な親にやられたわけではないやつなのだ。まともな親に育てられたやつが、そういうことを言う。まともな親に育てられたやつのほうが、社会的な地位が高いことが多いので、普通の人は、そいつが言うことを信じてしまう。普通の人というのも、けっきょくは、きちがい的な親にたたられてない、人だ。普通の親に育てられた普通の人だ。普通の人であっても、考え方のちがいや、言った言わなかったというタイプのあらそいはしょうじる。けど、それは、普通の人同士のあらそいだ。いっぽうが、きちがいである場合は、ちがうんだよ。けど、普通の人は、それがわからない。どうしても、普通の人が経験したトラブルの延長線で、きちがい的な人とのトラブルについて考えてしまう。特に、親兄弟といった家族に関しては、普通の人である親兄弟とのトラブルの延長線で考えてしまう。けど、ちがうんだよ。これ、普通の親に育てられた人に、きちがい的な親のことについて語ってもわからないと思う。だから、「影響をうけないことは可能なのに、影響をうけたからダメなんだ」というような意見がうかんでくるわけだから。影響をうけないことは不可能だとこっちが言っても、そいつらは、「強い意志をもっていれば影響をうけないことは可能だ」という意見をかえない。

ほんとうに、きちがいがどういう態度で、どういう行為でたたるのか、(きちがいにやられてない人は)わからない。家のなかにきちがいがいるということがどういうことなのかわからない。そのきちがいが、自分の親である場合、どんなことになるかわかってない。あたかも、影響をうけないことが可能だという前提でものを言うのは、やめろ。それは、失礼なことだぞ。自分がやられてないからわかってないだけだ。 

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なにを見ても、いやなことを思い出すなぁ。これも、しかたがない。実際この世で経験したことなのだから、記憶がある。人間には学習能力があるので、いやなことも学習してしまう。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。