あの子となかよくしたかったなぁ。ヘビメタ騒音なしで、なかよくしたかったなぁ。ヘビメタ騒音があると、だめなんだよ。あっちが、どれだけぼくのことを好きになってくれたとしても、だめなんだよ。ヘビメタが鳴っている生活じゃあ、だめなんだよ。だめなんだよ。あの地獄のような生活が、わかるか? わかるわけがない。ほんとうに、ほかのやつら、適当なことを言いやがって。まちがっている。あの生活でいいわけがない。あの生活で、ほかの人とつきあって、いいことになるはずがない。ヘビメタ騒音が鳴ってない時間も含めて、めちゃくちゃなうえに、めちゃくちゃ。感情が成り立たない。きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、ヘビメタを毎日毎日、きちがい兄貴の気がすむような音で、きちがい兄貴の気がすむような時間の長さ鳴らしてたら、だめなんだよ。どれだけがんばっても、だめなんだよ。どれだけはりつめていた。中学のときから、ダイヤとの関係だって、ヘビメタ騒音がなければ、ぜんぜんちがうものになっていたんぞ。これが、きちがい兄貴ときちがい親父で、脳みその構造が同じだから、まったく気にしないんだよ。この「気にしない」という状態がほかの人にはわからない。普通の脳みそをもっている人が「気にしない」のとは、ちがうんだよ。けど、こんなのは、どれだけ、説明したって、普通の人と暮らしている人にはわからない。ぜーーったい、わからない。わからないから、こっちの現実をまったく理解しないことを言いだすのである。普通の人は……。俺の説明を聞くと、こっちの現実とはまったくちがう現実の上に成り立つことを言う。けど、それは、こっちの現実では成り立たない。きちがいにどれだけ言ったって、殺さなければ、きちがいはきちがいのまま動いてしまう。どれだけ言ったって、きちがい的なふるまいをやめない。行動をやめない。普通の認知・認識ができないから、どれだけ言ったって、普通の認知・認識が成り立たないのである。きちがい兄貴の頭の中で……。きちがい親父の頭の中で……。そうすると、こっち、が、誤解される。勘違いされる。これまた、第三者が、勘違いしたことを、こっち、に、言うようになるのである。で、普通の人の常識と、きちがい兄貴がきちがい兄貴であるという状態……きちがい兄貴にどれだけ言っても、きちがい兄貴がすでにしているような反応しか返ってこないという現実のあいだに、乖離がありすぎる。この、乖離だって、ほかの人に、どれだけ説明したってわからない。ほかの人の常識は、ほかの人の常識的な現実に基づいて生成されたものだから、その人にとって「根拠がある」ものなのである。こっち、には、常識的な人の「根拠」がないんだよ。言ってみれば……。常識的な人が根拠として感じるような現実が、こっちにはない。どれだけ、こまるか? どれだけ、こまるか?
ともかく、塾とか家庭教師なんて関係がなくて、きちがい兄貴が普通の音で鳴らせばよかったわけ。で、普通の音で鳴らすということができないというわけではないんだよ。たとえば、フォークギターぐらいの音で鳴らすということができないということはない。ところが、きちがい兄貴は、ヘビメタを鳴らすのであれば、本人の耳が悪くなるようなでかい音で鳴らさなければ気がすまないというところがあった。これが、「気がすまない」というような表現ですまされるようなことではないのだ。こだわりがある。このこだわりは、やはり、きちがい親父のこだわりとおなじなのである。これ、脳みそのしくみが同じだから、こまるんだよ!! こまるんだよ!! で、どっちも、自分が思ったとおりにやらなければ、気がすまないのに、自分が思ったとおりにやらなければ気がすまないという自覚がないわけ。これは、言われないから気がつかないというわけではなくて、どれだけ言われても、気がつかない。で、激しく言われているとき……激しく指摘されているときの態度が、「夢中になって」やっているときの態度とおなじなんだよ。「無視して」やっているときの態度とおなじなんだよ。はっきり言えば、からだをこわばらせて、目を三角にして、真っ赤な顔をして、脂汗をかいてやっているときと同じだ。自動的にそうなっちゃうの! 同じなんだよ。「注意すれば、なおせる」というものではないんだよ。これ……。おなじ状態で否定して、認識しないようにする。否定して認めないのだけど、否定して認めなかったという意識が発生しない状態なのである。だから、記憶にない状態なのである。一度、認識したものを、忘れるのではなくて、一度も認識してないのである。 これだって、ほかの人にどれだけ言ったってわからない。