2022年8月29日月曜日

お楽しみ回路を破壊されたのが、一番、こたえたのかな?

 

 いやー、ほんとうにつまらない。俺、よく、生きているなぁ。

あーー。お楽しみ回路を破壊されたのが、一番、こたえたのかな?

あの感情の繰り返しじゃ、こわれるよ。

どんだけ、つらかったか。 

どんだけ、ながい時間持続したか?

どんだけ、ながい期間、持続したか?

まったく経験がないやつにわかるわけがない。おなじ経験がないやつにわかるわけがない。けど、その「わからないやつら」が、「楽しもうと思えば楽しめる」「ほんとうにつまらないやつは、つまらないと言っているやつだ」 「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と、こっちからすれば、まったく根拠のないあほな意見を言ってくる。彼らは、きちがい兄貴にやられてないからそういうことが言える。「きちがい兄貴騒音相当」の騒音がないから、言える。きちがい親父と同じ家に住んでなかったから言える。どんだけの、経験がつみかさなる? まったくわかってない人たちは、生まれの格差について考え違いをしている。生まれの格差は、時間とともに広がっていくのである。生まれたときの「格差」がその格差の方向で、ひろがっていく。だめなところ、ひどいところに生まれた人間は、どれだけあがなっても、だめな経験、ひどい経験がつみかさなっていく。経験……。ところが、いいところに生まれた人間が、「格差なんて関係がない」「過去なんて関係がない」と言う。こういう、トリック。それからもうちょっと言っておくと、根拠というのがあるのである。感じ方の根拠がある。不適切な感じ方だから、そういうふうに感じないようにしようとしてもむだなのである。感じ方の根拠があるから。たとえば、ひどい家族のもとにうまれたら、ひどい家族との経験がつみかさなる。その場合、「家族と言うのはいやだな」と思うようになる。そこのそこで思うようになる。かりに、テレビドラマで、「理想の家族」みたいなものが放送されていたとする。その、理想の家族のほうが、ほんとうの家族だと思ったとする。けど、自分の経験に根差さない、「理想の家族」は「空想の家族像」でしかないのだ。なので、そういう「あるべき理想の家族」をもとにして、経験を積み上げることができない。それは、自分にとって「よそよそしいもの」なのである。たとえばの話だけど、「理想の家族」に近い家族のものに生まれて「家族とはこういうものだ」と言うイメージをつくりあげたボンボンがいたとする。そのボンボンにとっては、根拠があるイメージなのである。このボンボンが、不幸な人を見て、不幸な人は、家族に対して不幸な考え方をもっていると言ったとしよう。不幸なの人は、みんな自分の家族がきらいだと言ったとしよう。で、対策として、「不幸な考え方をもたなければいい」「自分の家族を好きになればいい」と言ったとしよう。……言ったとしよう。言ったとしよう……。それがなんだというのだ? もともと、めぐまれた家族のもとに生まれた人間。もともと、まともで人格的にすぐれている家族のあいだで育った人間。そういう人にとっては、たとえば、家族に対していいイメージをもつことが可能だ。普通に家族のことが好きになって当然だ。家族というもの、あるいは、家族の構成員に対していいイメージをもつことができる。これを、いいイメージを持てる能力の差のようにとらえがちなのだけど、根拠のないイメージは持てないものなのである。持ったとしても、実際に感じたことのほうが、実際の感情に影響をあたえるのである。実際の行動に影響をあたえるのである。実際の判断に影響をあたえるのである。たまたま、いい家族にめぐまれた人間が、またまた、悪い家族のもとにうまれた人間をさげすみ、能力の差のように考えるのである。

ちょっとだけ、脱線して説明しておくと、「さげずむ」も「さげすむ」も言い方としてある。けど、「見下す」という意味では、「さげすむ」と書くことになっている。まあ、見下すと書いておけばよかったか。

で、話をもどそう。たとえば、めぐまれた家族のもとで育った、ボンボン心理学者が、「不幸な人は、家族のイメージがゆがんでいる」と言ったらどうだろうか? ボンボン心理学者は、自分が、めぐまれた家族のもとに生まれて、自分がめぐまれた家族のもとで生活してきたので、きちがい家族がどういうものであるのか、ほんとうには知らない。経験をとおして知らない。なので、自分の家族(良心的な家族)をもとにして、家族のイメージをつくりあげる。その場合は、経験と家族のイメージが合致しているのである。けど、ボンボン心理学者が提示した「家族のイメージ」は、きちがい家族のもとで育った人にとってみれば、「空想の家族」「自分の経験に根拠がない人間的な交流をしている家族」なのである。なので、経験と言うことを考えれば、たとえば、不幸な家族のもとで生まれ育った人が、不幸な家族のイメージをもつのは、当然なのである。これは、そのことについて、認知がゆがんでないということを意味している。しかし、ボンボン心理学者のほうが、幸福な家族のもとに生まれ育って、幸福な家族のイメージが「認知的に正しいのだ」と思ったらどうだろう。不幸な家族のもとに生まれ育った人間の「家族のイメージ」がゆがんでいると判断してしまう。そして、それは、まちがっている。不幸な家族のもとに生まれたものがもっている「家族のイメージ」に対する認知は、ゆがんでないのである。 どっちの側にいるか? あるいは、どっちの側に含まれるか? ということを考えないで、「(認知が)ゆがんでいる」と言うべきではない。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。