ヘビメタ騒音をきちがい兄貴みたいな相手に、ずっとやられたら、通勤・通学ができないからだになるのである。だれだってそうだ。
まあ、ヘビメタが好きな人はならないかもしれないけど、それは、鳴っている音がヘビメタだからだ。
もしかりに、その人が苦手な音がずっと鳴っていたら、ヘビメタが好きな人でも、通勤・通学ができない状態になる。
たまたま、そういうことをする『きちがい的な家族』がいなかったから、まのがれているだけ。能力のちがいじゃないのである。
けど、自分が通勤・通学することができれば、通勤通学ができないなどと言っている人のことを、根本的に、無意識的に、意識的に、「ばかにする」。自分より下の存在だと思う。一度、下の存在だと思ったら、説教をするのは自由なのである。そういう人たちは、下のやつにえらそうなことを言うのは、自由だと思うし、「やっていい」と思う。むしろ、積極的にそうするべきだと思ってしまう。
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きちがい兄貴が、一心不乱に、きちがいヘビメタ騒音をでかいでかいでかい音で鳴らし続けると、俺が、バカなやつらから、あるいは普通のやつらから、下の存在に見られるようになってしまうのである。どうしてかと言うと、ヘビメタ騒音で勉強ができくなるからだ。学歴や職歴がなくなるからだ。体力も、生活的な持続力もなくなからだ。睡眠回路が破壊され、つかれやすいからだになる。そうなると、仕事ができないからだになるのである。しかし、そこでも、家の状況というものを無視した、あるいは、ヘビメタ騒音の影響を無視した、努力論や自己責任論が、あたかも正しいことして、言われるのである。
そんなのはいいわけだ」ときちがい兄貴がいないやつ、きちがい兄貴の騒音にずっと悩まされてこなかったやつが、言うのだ。こんなのは、屈辱だ。そいつだって、きちがい兄貴のような兄がいて、その兄が、そいつの一番嫌いな音を発狂的な意地で、毎日、ほとんどすべての時間、鳴らしていたら、学歴と職歴をなくし、通勤・通学ができないからだになる。どれだけ我慢して動いても、基本体力がなくなったつらい体で動くことになる。どれだけ、睡眠に気を使っても、けっきょく、適切な時間に、眠れないからだになる。そして、そうなったのは、自己責任だと言われるようになる。こいつらは、俺の責任を追及するけど、きちがい兄貴の責任はまったく追及しないのだ。それで、「正義」だと思っている。それで、「善」だと思っている。佐藤のような、凡人に、この俺が、かるく見られるのである。思考力がない凡人は、「専門家」の言うことなら、ありがたがって聞く。きちがい兄貴にやらなければ、俺は、専門家になれた。専門家である俺の意見を、思考力がないあいつらは、ありがたがって聞いただろう。それは、くそ凡人が、専門家の意見は正しいと思うようなくそ凡人だからだ。