ヘビメタ騒音でつらい。ヘビメタ騒音でつらい。ヘビメタ騒音でつらい。
ヘビメタ騒音でつらいと言っているだろ!
ヘビメタ騒音でつらいと言っているだろ!
あの、連続ない。あの連続、ない。ほんとう、どういう状態でいると思っているんだ?
どういう状態でいたと思っているんだ?
どういう状態になると思っているんだ?
きちがい兄貴を殺すべきだった。はやく殺して、きちがいヘビメタの影響から逃れるべきだった。これ、やられてない人は「ふかひせい」みたいなものがわかってない。不可避、なんだよ。不可避なんだよ。影響をうけないということがないんだよ。どれだけ、がんばって影響をうけないようにしても、影響をうける。あの、はりつめた気分はない。あの、はりつめた状態はない。きちがいが「へーき」でやっているんだよな。どれだけ言ったって、きちがいだから、日本語の内容を意識的に理解する前に、否定してはねのける。きちがいでも、日本語はわかるのである。けど、「予感」のようなものでしかない。理解すると、相手の言うことを聞いてやらなければならなくるから、理解をするまえに、相手の言うことを否定する。あるいは、理解する前に、無視する。無視したら、「まったく言われなかった」状態とおなじ状態になる。区別はない。だから、言われて、怒って、無視したあとも、「言われた気持ち」は発生しないのである。これが、兄貴の無視のしかただ。で、これは、普通の人が「こうしよう」と思ってできることじゃないのである。普通の人だと、どうしても、「聞いたけど、無視した」という記憶が残ってしまう。相手が「やめてくれ」と言ってきたけど、無視したという記憶が残ってしまう。さらに、無視したあと、相手が嫌がっていることをやり続けたという記憶が残ってしまう。普通なら、そうだ。けど、きちがい兄貴は、普通の意味で、意識的に理解する前に、はねのけてしまったので、そういう記憶が残らない。自分は、なにも言われてなかったし、言われなかったのだから、どれだけ続けたってそんなのはしかたがない」と思っている状態なのである。本人としては、本人の行為だとは思ってない状態なのである。あいてがいやがっていることをずっとやり続けたという認知・認識は、何万時間やりきっても、これっぽっちも、うまれない。相手が「やめてくれ」と言ってきたという認知・認識は、何万回言われても、まったく、うまれない。これは、わざと、やっていることではない。それがどれだけひどいことかわかるか? せめて、わざとやる……ぐらいの脳みそがなければならないのである。わざとやっている場合は、わざとやっていることを知っている。本人が、どれだけ、人の前で、否定したとしても、知っている。けど、きちがい兄貴の場合、わざとやっているわけではないから、それがないのである。普通の人が意識して、意地になって、わざとやらなければならないことを、普通に、自然に、やってないつもりのまま、やってしまう。こういう、催眠術にかかっているような状態……。これが、ふだんのきちがい兄貴の脳みそなんだぞ。どれだけ犯罪的なことをしたって、本人が、まったく気がつかなかったら、犯罪的なことをしたことにならないんだよ。