2022年8月1日月曜日

不可避的に「できくなる」ということ……。

 ヘビメタ騒音の感じがある。これは、否定できない。ほかの人には、ないわけだから、どれだけなにを言っても、根本的なことは伝わらないと思う。ほかの人には、どうしてないかというと、きちがい兄貴がずっと、ヘビメタを鳴らすということがなかったから、ない。このヘビメタが鳴っている「いちにち」というのが、ものすごく、たいへんなのだ。これだって、どれだけ説明したってわからないだろう。いちにち」のことですら、わからない。鳴っている状態、鳴っている時空がずっと続くって、どういうことだと思っているんだよ。ヘビメタとは言わず、自分がこの世で一番嫌いな音が、あの音のでかさでずっと、鳴っていたら、不可避的に影響をうける。けど、人は、うけてないので、それがわからない。不可避的ではないと思うわけだ。「しっかりと自分の意志をもっていれば、影響をうけない」と思っていたり「影響をうけないと言えば、影響をうけずにすむ」と思っていたりする。けど、これ、空論なんだよね。それは、やられてないから、実際にはどういうことなのかわからず、そういうことを言ってるという状態だ。いちにちですら、そういうことが成り立つのに、毎日ずっと、何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も鳴っていたら、どういうことになるか? どういうことになるか? そういった認知の誤謬が大きくなる。こっちの現実を知らずに、物事を言うということになる。認知療法……いちおう、俗流認知療法と言ったほうがいいかな?……まあ、認知療法や行動主義心理学や精神世界やアドラー心理学といったものを信じしている人は、そういう考え方を信じているので、「不可避的だ」ということを認めないのである。そうなれば、現実に関する、ぼくの認知と、「不可避的だ」ということを認めない人の現実に関する認知は、異なるものになる。そして、その認知の差が、きちがいヘビメタ騒音経験の数、とともに、どんどん広がっていくのである。

これは、「不可避的だ」ということを認めない人には、どうでもいいことだけど、ぼくにとってはどうでもいいことではない。生きにくくなってしまうのだ。たとえば、佐藤は常識的な人で日本人的な労働観をもっている人間だ。そういう人間は、「不可避的だ」ということを認めないのである。そして、ヘビメタ騒音の影響を過小評価し、あるいは、無視して、「人間は働くべきだ」という「自分の意見」をしおつけてくるようになる。その場合、佐藤とぼくのあいだで、有効な人間関係が成り立つかというと、成り立たない。そういうことを言われたあと、佐藤といい気持でつきあうということができなるのだ。そして、外面的な行為について言えば、ぼくが働かない限りは、佐藤は、自分の意見をおしつけてくる……説得しようとするということをやめないわけだ。そして、佐藤がそういう労働観をもっている以上、これまた、不可避的に「働いてない人」を軽蔑するということがしょうじる。これは、佐藤が、意識的にやめようと思っても、やめられないことだ。「働いてない人」と書いたけど、くわしく書くと「働けるのに、働いてない人」ということになる。しかし、佐藤の場合、ヘビメタ騒音の影響を無視しているのだから、佐藤にとっては「ぼく」は、働ける人間なのだ。だから、「働いてない人」と「働けるのに働いてない人」はこの場合は!等価になる。ヘビメタ騒音にやられて働けないからだになると、必然的に、佐藤のような労働観をもった人から、「バカにされる」「軽蔑される」という結果がもたらされることになる。もちろん、きちがい兄貴が最初からそれをねらっていたわけではない。けど、ヘビメタ騒音は、ヘビメタ騒音が鳴っているという状態を作り出し、その状態の影響を不可避的に受けてしまう以上は、順番にそうなるのである。で、これは、佐藤との間にしょうじたことだけど、じつは、小学生のときからそういう問題がしょうじている。小学生のときは、働く必要がない(働くべき人間だと「常識的な他者」が思ってないから)見えないだけで、ほんとうは、同じ構造をもった問題がしょうじている。それは、ひとつひとつは小さく見積もられることだ。たとえば、「宿題をやってこない」という問題がある。宿題をやってこないのではなくて、ヘビメタ騒音で宿題をやることがどうしてもどうしてもどうしても、できなかったのだ。しかし、常識的な他者は、ヘビメタ騒音でそういうことがしょうじるということを認めない。また、基本的なことを言えば、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」「そんなのは、家族で相談すればいい」ということを言われることになる。「常識的な他者」はきちがい兄貴の構造やきちがい親父の構造がわかってないので、「お兄さんに言えば」問題が解決されると思っているわけだし、「家族で相談すれば」問題が解決されると思っている。で、これが、伝わらないのである。佐藤に「不可避的に影響をうける」「その結果、働けなくなる」ということが伝わらなかったように、伝わらないのである。「常識的な他者」はきちがい兄貴の構造やきちがい親父の構造を理解しない。ぼくがどれだけ明瞭な言葉で語っても、理解しない。常識的な人は、基本的に、きちがい兄貴のことやきちがい親父のことは理解しない。言ったって、わからない。これは、ぼくの説明のしかたが悪いのではなくて、相手側……常識的な人のなかに、それらに対応する「本質的な認識」あるいは「概念」がないのだ。ともかく、この場合も、お兄さんにちゃんとやめてくれと言えばやめてくれるはずなのに、言わないからダメなんだというような誤解をうける。また、「ヘビメタ騒音が鳴っていたとしても、宿題ぐらいできる」といったまちがった考え方をもっている先生だと、その先生と「ぼく」の人間関係が、悪くなるのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。