どうするかな? 風呂から出てきた。
きのう、真夜中の2時、がさががざがさと音がしたので、おどろいた。けっきょく、外に猫がいたみたいだ。一階のひさしの部分にのっかって、動いていたみたいだ。これ、ネズミが出るまえだったらなんてことないけど、ネズミが出てから、こういう音に敏感になって、「うわっ、また出たのか」と思うようになった。ほんとうに、おやじが餌付けをしなかったら、こんなことになってないのに……。ネズミの餌付け。そして、頑固にネズミ対策工事を拒否。その3年間でどれだけ、ネズミの糞がたまったか。頭がおかしいから、どれだけ言っても、ネズミの糞のことを気にしないんだよな。「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」と絶叫して、俺の話を聞かない。「ネズミ本体をつかまえても、あとからあとから入ってきて、ネズミの糞をしていくわけだから、つかまえたって意味がないだろ」と言っても、聞かないんだよ。ともかく、こわれた機械のように「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」と怒鳴って、聞かない。
いろいろなことでつかれたけど、ネズミの糞のことでつかれはてた。こんなの、俺だっていやだ。きちがい的な親がどういうふうに、影響をあたえるか、普通の親に育てられた人は、想像もつかないんじゃないかな。ただ単に「がみがみ怒る」というような言葉でかたづけられない問題が横たわっている。その問題は、本人のしくみ……親の脳みそと深く関係している。「どれだけ、がみがみ怒ったって、気にする必要はない」というようなことではすまないのである。それから、がみがみ怒るにしろ、きちがいががみがみ怒る場合と、正常な人が興奮してがみがみ怒る場合は、ちがうんだよ。それから、がみがみ怒るにしろ、いっしょに住んでいる身近な他人が怒る場合と、学校や会社でしか会わない相手が怒る場合は、ちがうんだよ。こういうちがいを積極的に無視して、ガタガタ言うのは、よくないぞ!!
状態や条件の無視、文脈の無視。アドラー主義者や認知療法家は、状態や条件を無視しすぎる。アドラー主義者や認知療法家は、文脈を無視しすぎる。文脈って過去から現在にいたるまでの文脈だ。状態や条件、文脈を無視して、抽象的な一般法則についてのべてもしかたがないのである。きちがい的な親にやられてこまっている「その人」がかかえている、状態や条件、文脈を考えなければならないのである。どうしてかというと、現実問題として、状態や条件、文脈が問題をうみだしているからだ。