きちがいヘビメタが鳴っている感じがする。みんな、誤解しているけど僕の騒音耐性は、もともとは、強かった。強いほうなのである。けど、それをぶち壊す騒音がずっと何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も、毎日毎日鳴っていた。こわれるまでのあいだ、ぼくは十四年間と数か月、がんばってきた。最大限の努力をしてきた。きちがい兄貴の騒音はひどい。幼稚園の騒音よりも、一億倍ぐらいすごい。あの音のなかで、あの音を無視することなんてできない。どうしたって影響をうけてしまう。きちがい兄貴が普通の兄貴で、ヘビメタ騒音をフォークギター騒音ぐらいに落としてくれたら、まったく問題がなかった。けど、一秒たりとして、落としてくれなかった。俺がどれだけピンチでこまっていても、一秒たりとして、落としてくれなかった。これが毎日の兄貴の態度だ。毎時間、毎分毎秒の、きちがい兄貴の態度だ。毎日、どれだけ兄貴に言っても、かわらなかった。
実際にやられてない人は、きちがい兄貴のきちがい騒音を起点にして、どれだけのことがしょうじるかまったくわかってない。わかってないところで、判断をして、こっち(俺)に、的外れなことを言ってくる。それは、決まっている。特に、悪の支配に親和的な価値観をもっている人は、勘違いをして勘違いしたことを言ってくる。これは、不愉快だ。こういうやつらは、自分がなにをしているのかわかってないのである。言いたくはないけど、ほんとうに、思考力がない。想像力がない。相手の立場に立って考えるという能力が、かけている。かけていると言っても、そういうひとたちばかりなのだから、相手の立場に立って考えるという能力があるほうが、いい意味で、異常なのだろう。すぐれているのだろう。軒並み普通の人は、佐藤(仮名)並の理解力しかない。ほんとうに、頭がわるくて、誤解しているだけなんだよな。想像力がないから誤解しているだけだ。なんで、わからないのか?
なんでだ。
まあ、経験がないからか? そして、想像力がないからか?
まあ、そういうことなんだろうけど、そいつらは、俺のことを侮辱している。けど、これがまた、侮辱をしているつもりがないまま侮辱をするということになる。どんだけ、腹がたつかわかってないんだよな。
ほんとうに、きちがい的な家族にやられた人は、きちがい的な家族にやられたことがない人に、誤解され続ける。誤解。どういうことが起こっているのか、まったくわかってないのである。説明をしたって、わからない。ちゃんと説明をしても、こっちにとって重要なことは無視するのである。「無視するな」と言っても、無視する。そりゃ、わからないから無視する。「影響が大きいと言っても、影響なんてたいしたこと、ないだろ」と思ってしまうのである。「いくら、騒音の影響が大きいと言っても、通勤、通学できるはずだ」と思ってしまうのである。できないから、できないと言っている。できなくなったからできなくなったと言っている。ヘビメタ騒音で、できなくなったからできなくなったと言っているのに「できなくなるわけがない」「そんなに影響がでかいはずがない」とばかな頭で考えてしまうのである。こいつらは、いったいなんだ。こいつらは……。ヘビメタ騒音でできなくなったとっているだろう。俺は、十数年間にわたって、ずっと、毎日、がんばってがんばってがんばってきたんだよ。その結果で聞くなったと言っているのに、「がんばればできるようになる」と、きちがい兄貴のヘビメタ騒音に一日もさらされたことがないやつが言う。一日目と、五〇〇一日目とでは、一日に七時間鳴っていたとしても、意味合いがちがうのである。この意味合いのちがいも、自分のからだを通して学習したわけではないので、わかってない。そうぞ力がない人が、想像をしてものを言っているだけなのだ。きちがい的な家族というのは、ほかの人の想像をこえて「どはずれ」なところがある。しかし、その「どはずれ」なところも含めて、わからない。これは、徹底的にわからない。自分の経験の範囲にないからわからない。きちがい的な家族にやられた人というのは、きちがい的な家族と、世間の人のあいだにはさまれて、苦労する。
能力の喪失というのが、まるでわかってないなぁ。できていたことが、どれだけがんばってもできなくなるということが、まったくわかってないなぁ。普通のやつが、普通のやつの基準でものを言う。その普通のやつは、みんな、きちがい家族に、やられたことがないやつだ。きちがい家族に注意したってかわるわけがないだろ。そいつは頭の癖があってそうしているんだよ。頭の癖というのは、頭の物理的な構造のことだから、注意してもわからないままなのである。それはそれで、能力の欠如なのだけど、普通の人は、きちがい家族……原因をつくったきちがい家族のことはまったく言及しないで、ひたすら、きちがい家族にやられた人を悪く言うのである。しかも、そういうふうに無理解ぶり発揮して、きちがい家族にやられたほうを悪く言うのに、その人たちは『きちがい的な家族にやられたと、その人が、家族の悪口を言っている』と理解してしまうところがある。こういうのも、屈辱だ。