2022年6月16日木曜日

状態と性格をいれかえて考える人たちがいる……ふかふかな椅子に座っている人は、お尻に針が刺さってないから、いたいと思わないだけだ。

 まあ、言霊主義者も、最後には、「元気だ元気だ」と言っても、ぜんぜん元気にならない状態を経験して、死んでいくわけだ。

 「元気だ元気だ」と言っても、ぜんぜん元気にならない状態を、俺は、ヘビメタ騒音で経験茶ったわけ。毎日毎日、ずっとずっと、何時間も何時間も経験しちゃったわけ。

経験して言っているんだからな。「元気だ元気だ」と言わなかったわけじゃない。

これ、(後でちゃんと説明するけど)ふかふかな椅子に座っている人が、注射器の針のように、穴があいている針がはえている椅子に座っている人に向かって、「元気だ元気だ」と言えば、元気になると言っているようなものなんだよ。本人は、ふかふかな椅子に座っているから、相手の状態がわからない。自分の感覚としてはわからない。 ふかふかな椅子に座っている人が、注射器の針のように、穴があいている針がはえている椅子に座っている人に向かって、「いたい、いたい」と言うから、いたくなる……と言っているようなものなんだよ。ふかふかな椅子に座っているから、相手の状態がわからない。自分の感覚としてはわからない。

お尻に針が刺さっているなら、いたいと思うだろう。ふかふかな椅子に座っている人は、お尻に針が刺さってないから、いたいと思わないだけだ。自分が相手の状態だったらどうなのかということがまるでわからない人なんだよ。そういう自分勝手な人なんだよ。だから、そういうことを平気で言う。

尻に、針が五〇本刺さっていたら、いたいと思うだろう。ところが、「いたい」と言ったら、言霊主義者が「いたい」と言うから、いたくなるということを言ってくる。それをほんとうに信じている。さらに、血がぬけていく状態が、ある時点からある時点まで続いていたら、血がぬけたという意味で、過去のことは、現在の状態に関係がある。けど、「過去なんて関係がない」と言う。血がぬけて、元気がなくなっているのに、「元気だ元気だ」と言えば元気になるということを、言う。相手の状態は、がん無視だ。自分のことしか考えてないのである。相手と立場をいれかえて考えてみるということをしないのである。考えたつもりになっても、実際に、自分が、針のはえた椅子に座っているのでなければ、いたいということも、血がぬけて元気がなくなるということも、まったくわからないままなのである。

もうちょっと、言っておく。状態と性格をいれかえて考える人たちがいる。たとえば、ちがぬけていくような針が刺さっている状態で座っている人は、針が刺さっているから、いたいと言うわけだ。この状態がかわらない限り、いたさは続く。死ぬまで続くだろう。ところが、アドラー主義者みたいなやつは「痛い痛いと不満を言う」人と形容してしまうのだ。針が刺さっているから痛い。その針から血がぬけていくので、元気がなくなる。ところが、不満を言う人は、不幸だ。不幸な人は、不満を言う……不満を言う人はみんな不健康だ……というようなことを主張する。そういうことを言っている人たちだって、針が刺さっている状態になれば「いたい」と言う。血がぬければ、元気がなくなる。これは、「状態」がもたらすものだ。けど、これを、そういう人の性格だと言い切ってしまう。たまたま、自分がふかふかの椅子に座っているから、不満を言わないだけなのに、針の刺さった椅子に座っている人が、ふかふかな椅子に座っているのに、不満ばかり言う……と考えてしまうのだ。相手の状態を無視して、「不満を言う人」と形容してしまう。たとえば、不満を言う人は、不幸だ……という文について考えてみよう。これは、正しいように聞こえるかもしない。しかし、じゃあ、不満を言ってない人が、針が刺さっている状態になったら不満を言わないのかどうかだ。これも、「状態」と「性格」を言い換えているから、正しいように聞こえるだけだ。そりゃ、針が刺さっている状態なのだから、不幸だ。尻に五〇本の針が刺さっていて、その針から自分の血がぬけていっているのだから、不幸だ。この状態が幸福な状態か? これは、状態なのである。性格でもないし人格でもない。まあ、人格ということばを使ったほうが、正確なのか? ともかく、アドラー主義者は、状態をあたかも人格のように言い換えてしまうのである。そうやって、くるしい状態の人をディスる。このディスるというのは、軽蔑する、誹謗中傷する、ばかにするということばをあわせたような言葉だと思ってくれ。ていよくディスるのだ。だれだって、「いたい」というような状態なのに、「いたい」と言っているところを見て、「いたい」という性格の人だと思ってしまうのである。アドラー主義者には、こういう、幼児的な感じ方がある。アドラー主義者にはこういう、自己中心的な感じ方がある。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。