ほんとうにひどい音で鳴ってた。
こんなの、ない。どれだけ、ひどい音で鳴ってたか?
鳴っている感じがする。ほんとうに、ひどかった。全部がくるしくなった。どれだけがんばっても、ギリギリ生活なのである。むかしは簡単できたことができなくなる。特に、睡眠がダメになった。睡眠がダメになると、全部がくるしくなる。きちがい兄貴は、なにがなんだろうが鳴らしたのに、まったく鳴らしてないのとおなじ態度なんだよな。毎日、何十回も言った。何十回も怒鳴り込んだ。そのたびに、きちがい兄貴が、むくれて、きちがい的な意地で鳴らした。これ、きちがい親父の態度とおなじなのである。まったくおなじ。で、きちがい的な意地でやったことは、全部、まったくやってないことなのである。この感覚が、ほかの人にはわからない。これ、ほんとうに、きちがいだとむかつくんだよ。そりゃ、きちがい的な意地でやったことを、きちがい的な意地で否定しているわけだから……。本人は「いつもいつも」つもりがないわけだから……。あんなに維持なってやったことなのに、本人は、まったくやってない場合と同じ気持ち、まったくやってない場合とおなじ態度でいるわけだから、むかつく。人間関係なんてない。そりゃ、そうだろ。これ、わかるかな? きちがい兄貴だって、おやじともめたら、おやじともめたということがわかっている。けどのこの場合は、おやじのほうが、まったくもめたということがわかってない状態なのである。じゃあ、こっちがやめてくれと言ったときに、ちゃんと対応してくれるかというとそれはないのである。これは、おやじも兄貴もおなじだ。で、兄貴は、おやじにやられたときは、感覚が普通だから、怒るのである。けど、きちがい兄貴が、俺に、ヘビメタ騒音でおなじことをやっているときは、おやじのようにまったくわからないままなのである。どれだけ言ったって、わからない。これ、ほんとうに、やめさせるとなったら、殺すしかないんだよ。本人が、毎日、いやがらせをしているのに、まったくいやがらせをしたつもりがない状態で暮らしている……。毎日、相手に、ひどいことをしているのに、まったくそのつもりがない状態でいる。だから、自分が恨まれているということは、わからない。自分が!!腹をたてている状態なのである。「やめてくれ」と言われたら、きちがい的な苛立ちを感じて、きちがい的な意地でやってしまうのに、やったつもりがまったくないんだよね。だから、相手が自分に対してどういう気持をもっているかというのが、まったくわからない状態で暮らしている。きちがい兄貴だって、ヘビメタをやるまえは、いやなやつだけど、がまんができる範囲のいやなやつだったのである。きちがい親父は、兄貴がヘビメタをやるまえからがまんができない範囲のいやなやつだったのである。きちがい親父にかかわって、いいことになったことなんてない。これは、そういうふうに思っているからそうなるというようことではない。おやじの構造から出てくるものだ。俺が、おやじはそういう人間だと思っているから、おやじがそういうふうに行動するわけではないのである。この「思ったことが現実化する」というある意味、幼児的な万能感に満ちた思考は、ほんとうに、きちがい的な親がいる人間を傷つけるのである。自分だけ、そう思っていればいいだろ。自分のことだけ、そう思っていればいいだろ。理由付けがちがうんだよ。因果がちがうんだよ。これはこれで、「思いは現実化する」というような思考をもっている人と、うまくいかなくなる理由のひとつだ。普通の人は、きちがいではない親のもとに生まれたからそれでいいのだろうけど、「ぬれぎぬ」をきせるな。ふざけるな。まあ、「思ったことが現実化する」派閥のことはいいよ。これをぼくは、「おもだましゅぎ(思霊主義)」ということにした。言霊も、じつは、別の理由をつけているんだよな。そういう意味で、言霊で、不幸な家のことを説明するときは、注意が必要だ。たとえば、ぼくが「きちがい兄貴が、ヘビメタにこって、ヘビメタをでかい音で鳴らして、エレキ・ギターを弾くようになるから、ぼくの人生が台なしになる」と言って、そういうことが発生したわけじゃないのである。兄貴がヘビメタを鳴らすということは、ぼくにはわかってなかったことだ。ヘビメタということばすら知らなかったのである。ヘビメタじゃなくても、きちがい兄貴が、きちがい兄貴の耳が悪くなるようなでかい音でなにかの音を鳴らすということが、わかっていたわけじゃないのである。だから、そういうふうに言うことができなかった。言ってないのにもかかわらず、現実化した……。まず、これが重要なのである。最初から、まちがっている。この言霊主義にしろ、思霊主義にしろ、普通の人の幼児的な感覚だから、きちがい的な家族がいる家のことを説明するとなると、まちがった説明になってしまうのである。けど、アドラーとおなじように、本人が、きちがい的な家族が最低でもひとりいる家の状態を自分の経験をとおして理解しているわけではないから、そういう誤解……まちがった説明が、気にならないのである。ぼくがいま言ったようなことを、思霊主義者説明しても思霊主義者は、「そんなことはない。思ったことが現実化する。思ったはずだ」と言い張って聞かない。しかし、思ってもみなかったことが、現実化したという点で、思霊主義の説明はぼくにとっては、まちがった説明なのである。符合しないのである。現実の現象を説明できないのである。また、ぼくがいま言ったようなことを、言霊主義者説明しても言霊主義者は、「そんなことはない。言ったことが現実化する。言ったはずだ」と言い張って聞かない。しかし、言わなかったことが、現実化したという点で、言霊主義の説明はぼくにとっては、まちがった説明なのである。符合しないのである。現実の現象を説明できないのである。まちがったことなのである。理由になってないことなのである。言霊主義者は、勝手に、ぼくのせいにする。言ってもいないのに、言ったからそうなったと、わけのわからないことを言いだすのである。誤解している。完全に誤解している。こっちにとっては、不愉快なことだ。
家族の構成員のうち、すくなくてもひとりがきちがいだと、ほかの人から誤解をされて、ほかの人が、まちがった前提に基づいてまちがったことを言ってくるようになる。うちは、ふたりだ。ふたりとも同じタイプの脳みそを搭載しているのである。どれだけ、こまるか?
ふたりいるんだぞ。誤解されるときもダブルパワーで誤解される。「そんなにでかい音で鳴らしているのに、親が文句を言わないのはおかしい」とか「そんなに小さなことで、おやじさんが怒っていたのに、お兄さんの音楽には文句を言わなかったというのはおかしい」と言いやがるのである。どれだけ、ずれたことか。そして、こういう人たちは、ヘビメタ騒音に関しては、経験がないので、それがどれだけ生活自体に影響をあたえるのかまったくわかってないのである。ヘビメタ騒音と書いたけど、ぼくとおなじヘビメタ騒音ということだ。あるいは、その人にとって一番嫌いな音楽ということだ。その人にとって一番苦手な音がずっと鳴っている状態を経験したことがないということだ。そして、その音を鳴らし続けているのが、家族の一員だということを経験したとがないということだ。これ、一一歳からやられてみろ。どれだけ体に影響が出るか? どれだけ人生に影響が出るか? 自分のからだでわかってないなら、わかったようなことを言うな。これ、影響を無視して……勝手なことを言いやがるのである。家族がへんなひとだと、よその人から、俺が悪く言われる。いつもいつもそうだ。