アドラーいわく。
「愚者は自分が愚かであることを自覚できず、理解できないだけのものを「自分には無用なモノ」として拒絶してしまいさらに負のループに入る。謙虚に学ぼうとする姿勢がある人は、自分に必要なのかどうかを冷静に判断し、必要ならむずかしくても理解する努力を惜しまない」
アドラーが「愚者」と言っているときは、その「愚者」というのはアドラー自身をさしている。
「アドラーは自分が愚かであることを自覚できず、理解できないだけのものを「自分には無用なモノ」として拒絶してしまいさらに負のループに入る。謙虚に学ぼうとする姿勢がある人は、自分に必要なのかどうかを冷静に判断し、必要ならむずかしくても理解する努力を惜しまない」
アドラーは、フロイトが言ったことをまったく理解しなかった。フロイトが言ったことは、アドラーにとっても、ほかの人にとっても理解する必要があることなのである。
アドラーは、むずかしいことは、最初から理解するような努力をしない人間だ。
フロイトが言ったことは、アドラーにとってむずかしいことだったのである。理解しようとする努力さえしなかった。謙虚に学ぼうとする姿勢がなかった。理解できないだけのものを「自分には無用なモノ」として拒絶してしまったのは、アドラー自身なのである。アドラーはフロイトの最悪の弟子なのであーーる。
アドラーにとってフロイトの言っていることはむずかしいことなので、学ぶことをあきらめてしまったのである。……公平に言っておくと、この「アドラーにとってフロイトの言っていることはむずかしいことなので、学ぶことをあきらめてしまったのである」というのは、悪い決めつけの例だ。アドラーが、口をひらばやっていることだ。
アドラーの考え方というのは、悪い決めつけが多すぎる。悪い意味で単純なのである。だから、悪い意味で単純な「スローガン」が好きな人をひきつけてしまう。アドラーのような人間は、複眼的な思考ができないので、単眼的で一方的な視点から、すでにこまった人にやられて、弱っている人を、ののしってしまう。これは、ひとを傷つける行為だ。そして、傷つけたことに関しては、まったくなにも感じない人間なのである……アドラーは。そういう、こまった人の特徴がある。