まず、どうしようもない格差があるということを頭に入れておかなければならない。この世というのは、悪魔に支配された世界なのである。
残念ながら、アドラー主義者、認知療法家、カルマを信じる精神世界の人は、悪魔に親和的だ。
神の光が差し込んでないのである。
これらの考え方は、悪魔に支配された世界を安定化させることに役立つ。
悪魔の支配に親和的なのである。人々がこれらの考え方に支配されると、それだけ、悪魔による支配が、安定化してしまうのである。
こういうきれいごとは、じつは、悪魔側の考え方。
問題なのは、こういうきれいごとを言っている人たちが、それに気がつかないということなのだ。こういう考え方は、悪魔の支配をより強固なものにして、安定化させる。
そういう効果がある。
こういう考え方に支配されている人は、目に見える「不幸な人」を攻撃する。それは、悪いこと。いいことじゃない。それは、悪であって、善じゃない。不幸な人たちというのは、『生まれの格差・下』の人たちだ。この人たちは、ほんとうは、悪い人たちではない。
しかし、カルマという考え方にとらわれていると、前世で悪いことをしたから、貧しい家に生まれてきたということになってしまう。前世で悪いことをしたその人のたましいがダメなのだというふうに見えてしまう。そのダメなたましいが、いまは、その人にやどっているのである。それなら、軽蔑し、邪険にあつかってもいいということになってしまう。前世で悪いことをしたのだから、しかたがないのである。……そういう考えにみちびかれてしまう。
カルマを信じたとたんに、あらゆる「生まれながらの不公平」が是認されてしまうのである。格差で『下』の人は、同情すべき相手ではなくて、攻撃すべき相手になってしまうのである。同じ構造が、じつは、アドラー主義や認知療法の理論に、反映されている。
けど、こういう考え方に支配されていると、あたかも、自分がよいことをしているような気持ちになってしまうのである。ほんとうは、罪もない他人をディスりまくっているのに、自分がいいことをしている気持ちになってしまう。
そして、悪魔の考え方、悪魔の感じ方を自分のものにしてしまう。
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同じ構造が、じつは、アドラー主義や認知療法の理論に、反映されている。ということについて……。 もう、非公開してあるけどじつはアドラー主義や認知療法の理論にも同じことが成り立っているということは、個別に説明した。