ほんとうに、ヘビメタが「すべて」にたたるんだよ。やられなかった人にはわからない。出版のことだって……。神学のことだって……。就職のことだって……。やられてない人のほうが多いというよりも、きちがい兄貴みたいな家族にずっとやられた人なんて、ぼくしかいない。ぼく以外の人がまったく経験てないことを、経験した。で、ほかの人には、わからないのである。ほかの人には、ヘビメタ騒音のことを説明しても、わからない。出版社の社長だって……。それならちゃんと書かないとだめだ」と言ってたけど、深刻さがわかってないんだよ。あと、その出版社では、幼稚園での幼児虐待についてあつかっていた本を出していたんだけど、ぼくには、たいしたことではないように思えた。「ママ、たすけて」っ言ったって、ただちょっとぶたれるだけだ……。きちがい親父にくらべたら……きちがい親父がやったことくらべたら、へでもないと思ってしまったのだ。で、このきちがい親父がやったことというのが、説明しずらいのである。きちがい親父の態度も、きちがい兄貴の態度も説明しにくい。説明しにくいだけではなくて、説明しても、普通の人は、信じない。ともかく、あのとき、親父のことにくらべたらそんなことはたいした問題じゃないと思ったので、そういうことを言ったんだな。そうしたら、「あなたがそんなことを言うとは思わなかった」と言われた。「幼稚園での暴力は重要な問題だ」というのが、社長の意見だった。まあ、それは、わかるけど、どうしても、きちがい親父のきちがい的な状況を考えると、幼稚園の教諭の暴力は、たいしたことじゃない感じがしたのである。きちがい親父がきちがい的な理由で怒るときの、きちがい的な勢いがわかってないなぁ。あんなの、ほんとうに、きちがいとしか言いようがない。そりゃ、「やめてくれ」と言ったってやめないよ。それに、本人は、悪いことをしているつもりがまったくないんだぞ。自分の気持ちしかないからな。あとは、頭がおかしいほど些細なことで怒るということが、あるいは、まったく理由がないことで怒るというとがどういう影響をあたえるのか、普通の人はわかってない。心理学者もわかってない。認知療法などにかかわっているカウンセラーもまったくわかってない。この「わかってなさ」は、言いようがないレベルだ。きちがい親父のほうに無意識的なズレがあるのだから、やられたほうには、その影響が出る。けど、無意識に問題があるきちがい的な親というものを知らない人には、わからないのである。「過去のことは影響がない」「影響をうけなければいい」「影響をうける必要はない」……こういう発言がどれだけ、きちがい家族にやられた人を傷つけるかわかってない。やられてない人のこういう発言は、やられた人の無意識と意識に、影響をあたえる。
冒頭の 「ほんとうに、ヘビメタが『すべて』にたたるんだよ」……だって、すべてというのは非合理的(イ・ラショナル)な考え方だということになる。どうしてかというと、「すべて」ではないから……。これは、やられてない人の考え方だ。ほんとうに、すべてに影響をあたえる。