ほんとう、このさきどうするかな?
自分のいのちをどう考えるかなんだよね。自分がほんとうにやりたかったことはなんなのか? あるんだよ。ある。けど、ヘビメタ騒音でどうしてもできなくなった。
ヘビメタ騒音のことは、だれに言っても、理解してくれない。ただ、相対的に言って、理解度の低い人と理解度の高い人がいる。言葉の多さは関係がない。理解度が高い人は、少ない言葉でも理解してくれる。この理解は、言葉による理解で、もちろん、体験をとおした理解ではない。理解度が低い人は、ヘビメタ騒音が俺に、影響をあたえないと思っているんだよな。そんなことはないんだよ。あの空間を、経験させてやりたい。どれだけ、体と心に響くか、経験させてやりたい。きちがい兄貴の態度「全般」がそもそも、ほかの人にとっては理解にしくいことなのである。だから、いろいろな誤解が生まれる。ヘビメタ騒音の影響に関しても、たいていの人は誤解する。ちょっとした騒音だとおもっしまう。そうじゃない。長期間続くとほんとうに、すべてに影響をあたえる。物理的に睡眠回路を破壊する。物理的にと書いたけど、生化学的にと書いてもいい。ともかく、そういうレベルで影響をうけてしまう。ヘビメタ騒音を一年間毎日鳴らされたぼくは、そうではないぼくとはちがった存在になってしまうのである。不可避的に能力がさがって、不可避的に日常生活レベルの問題がしょうじる。ただ、この日常生活のレベルの問題というのが、まったく理解されないのである。きちがい兄貴がきちがい兄貴だということが、ほかの人にはわからないから、言えば解決できるような問題だと思ってしまうのである。ほかの人が……きちがい的な家族がいない人が考えているような状態じゃないのである。そして、その連続……きちがい的な態度で、きちがい的なヘビメタを絶対の意地で、できる限り鳴らしてしまう……ということの、影響を、うける。これは、特殊な影響なのである。普通の人だって、もちろん、騒音体験はあるのだけど、特殊な家族による特殊な騒音だから、普通の騒音じゃないのである。普通の騒音体験から推し量ることができないような影響が生じる。けど、いくらぼくが「普通の騒音体験から推し量ることができないような影響が生じる」と言っても、ほかの人にはわからない。理解度が高い人も、もちろん、ぼくが理解しているようなかたちでは、理解してない。けど、理解度が低い人の反応がひどいのである。こんなの、喧嘩を売られているようなものだ。しかし、理解度が低い人のほうが、全体のなかで大きな割合をしめるので、人間づきあいに困難を感じるようになるのである。