今日は、なまゴミの日で、たぶん、普通の状態で捨てることができる。これ、ずっと起きていて、眠りたいのに、青いかごが出ないから、ずっと待っている状態というのが、きつくてさぁ……。ヘビメタ騒音時代の状態になってしまう。朝、俺がどれだけくるしんだか。そういう経験がない人が、「自分を楽しませることなんて、いくらだってできる」と言っているのを見ると、「ちがうんだよなぁ」と思ってしまう。もちろん、その人が言っていることがまちがっているという意味と、その人とぼくとでは、相当にちがってしまったなぁという意味がある。両方の意味がある。そりゃ、波はあるにしろ中立的な状態で生きてきた人と、ぼくとではちがう。あの騒音の毎日を経験したことがない人が、適当なことを言っているようにしか思えない。適当というのは、いい意味で言っているのではなくて、悪い意味で言っている。ようするに、まちがっているということだ。「つまらないと言っているやつが、ほんとうにつまらないやつだ」と言っていた人に、ぼくはだいぶ反論したけど、こいつもわかってないんだよね。まあ、普通の人はわからない。で、この感覚のちがいが、やっぱり、人づきあいのうえで問題になる。ヘビメタ騒音とは、まさしく、人づきあいを破壊する騒音なのだ。どれだけ破壊されたかわからない。
きちがい兄貴のしつこさがわかってない。これ、きちがい親父とおなじで、やりだしたとまらないんだよな。どれだけ言ってもやめさせることができない。ほんとうに、きちがいの目なんだよな。きちがいの形相なんだよな。殺さなければ、絶対にやめさせることができない。こういう態度で、相手の人生を破壊するような迷惑行為をやっているのにかかわらず、自分がそういうことを、熱心に、絶対の意地でやっている……やっている……やっている……ということがわからないんだよ。で、このわからなさも、異常なんだよ。こんなの、普通だったらひとこと、言えばわかることなのに、何十万回言ったって、わからない……まま……なんだよ。だから、本人は、気づかないし、傷つかないわけ。きちがい的な意地でやって、きちがい的な意地で「やった」ということを認めない。で、きちがい的な意地で「やった」ということを認めないということを、認めない。だから、二重、三重に、おかしいわけ。 けど、これがまた、普通の家の人には、「よそのいえ」のことだから、わからないわけ。わからない構造はちがうけど、わからないということはおなじなんだよ。まあ、理解してない内容もちがうんだけどね。けど、これは、きちがい的な家族にやられた人を、おいつめる。そして、毎日続いてしまうのだから毎日、おいつめられる。これが、ほかの人には、わからない。説明しても、ひとごとなので、わからない。その人のもっている『総体』のほうがでかい。ようするに、たとえば、「人間は働くべきだ」というような考えをもっている人にとっては、そっちのほうが優先されるわけ。ヘビメタ騒音で働けないとぼくが言っても言っても、ヘビメタ騒音の部分は無視したり、過小評価して、自分の考えをおしつけてくる。総体」というのは、その人がもっている……すでにもっている考えの『総体』だ。総体のほうが重要なので、ヘビメタ騒音で働けないということを聞いても、文として理解しただけで、実際には理解しないまま、『総体』のほうを出してくるわけ。とりあえず、「文として理解しただけで」と書いたけど、本当のところを言えば、文としても理解してない。そのくらいの無理解さ、そのくらいの無視を発揮してしまう。きちがい家族にやられたことがない人は、きちがい家族が「いえで」どういう態度で、どういうことをするかまったくわかってないんだよな。「そんなの言えばいい」と言ってくる。