世界はほんとうにやばいことになっていて、ぼやぼやしていると、やられてしまうのである。これは、ほんとうに、いのちをとられるということだ。しかし、気づいてない人は気づいてない。
彼らは『陰謀論』だと思っている。
陰謀が実行されているということに気がついてない。陰謀論なら正しくないかというと、そうではなくて、陰謀論であるかどうかは、正しいかどうかとは関係がないのである。しかし、普通の人は陰謀論なら、正しくないと思ってしまう。その場合、権威のある機関が、実際に、陰謀を実行している場合は、問題がしょうじる。普通の人は、権威のある機関が、陰謀を実行しているという話……つまり、陰謀論は、正しくないと思っている。実際に、実行者が陰謀を実行しているにもかかわらず、普通の人は「実行者が陰謀を実行しているというのは、陰謀論だから、実行者は陰謀を実行してない」と考えるようになってしまうのだ。何度も言うが、陰謀論であるかどうかということは、その陰謀が実行されているかどうかとは関係がない。……これを正しく切り分けて考えることができるかできないかが問題なのである。
社畜文化を批判してきた人まで、「陰謀論だから正しくない」と思ってしまうのだ。なんの、批判精神もない。そうすると、実行者にとって都合がいい社会ができあがってしまう。この「実行者にとって都合がいい社会」というのは、社畜的な社会なんてものじゃないのだ。もっとひどい社会だ。
黒に親和的かどうかということを考えると、じつは、社畜文化を批判してきた人は、黒に親和的なのだ。黒に親和的だとどういうことになるかというと、だまされて死んでしまうか、あるいは、だまされて奴隷になってしまうのである。この奴隷は、支配者(実行者)が殺そうと思ったら、スイッチ、ひとつで、簡単に殺せる奴隷だ。ほんとうに、支配者(実行者)の所有物になってしまうのである。スイッチ一つで殺したにしろ、それは、正当な行為(問題のない行為として)処理される。あたりまえだ。生殺与奪権をもっているものが、殺したわけだから、まったく問題がないということになる。こういうことが、ほんとうにわかってないのである。〇〇〇〇を打って、ゲームに『沈没』していると!そういうことになるぞ。
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