しかし、俺はどうしたらいいんだ?
「あのときのさみしさはない」と思った。横になっているあいだ、けっこう、そういうふうに思っている。何回も、そういうふうに思うことがある。「俺の人生はなんだったのか」……これにつきる。
このさきどうしようかな? もう、相当にやられまくっているから、「元気づけ」みたいなことでは、どうにもならない。「元気だ元気だと言えば元気になる」なんて言っている人たちが、まったく経験したことがないことを、何回も何回も、ずっと何十年間も毎日経験してきたよ。そんなことで元気にならないから問題があるんだろ。
たとえばの話だけど、どれだけ、切羽詰まった気分で「元気だ元気だ」と言っていると思っているんだよ? おまえら、ほんとうにまるでわかってないな。ヘビメタ騒音にやられているのに、そのなかで「元気だ元気だ」と言ってもしかたがないんだよ。
夜、寝るとき、しずかになってから、布団のなかで「元気だ元気だ」と何回言ってもおなじだよ。いや、もっとひどいことになる。これ、ヘビメタ騒音を六時間聞かされたあと、どういう状態になるのか、わかってない人の発言なんだよね。一日に、六時間、ヘビメタ騒音をあびただけで、その日は、どれだけがんばっても、眠れなくなる。
だいたい、眠れなくなるという表現でぼくがどういうからだの状態について、言及しているのか、わかってないと思う。その人たちは、ヘビメタ騒音にやられてない人生をすごしているから、わからない。毎日、つもると、六時間でも破壊的な影響がある。
この影響を無視して、「元気だ元気だと言えば元気になる」とか「禍根なんて関係がない」と言う。これがどれだけ、ぼくの気持ちをさかなですることか、わかってない。これがどれだけ、実情に合ってない発言か、言った本人はわかってない。言った本人にしてみれば、「ヘビメタ騒音なんてそんなものでしかない」のである。
これは、何千日も、あの態度でやられたことがない人の発言だ。
「何千日も、あの態度でやられたこと」がない人は、ないので、わからない。ぼくの発言の背後にあるものが、まったくわかってない。理解できてない。けど、それを、言語化して言うと、「そんなの、俺だって騒音ぐらいあった」とか「俺がどれだけくるしい思いをしてきたのか、わかってない」とかということを言う。
けど、騒音に関しては、ヘビメタ騒音相当の騒音を経験しないことがわかる。経験したら、ぼくの言ったことがわかっているので、「元気だ元気だと言えば元気になる」なんて、口が裂けても言わないし、たとえ言ったにしろ、ぼくが「元気だ元気だと言えば元気になると言っても、元気にならないことがある」と言えば、即座に納得してくれる。
納得せずに、「そんなの、俺だって騒音ぐらいあった」とか「俺がどれだけくるしい思いをしてきたのか、わかってない」と言いかえしているのだから、わかってない。これは、騒音じゃなくても、ほかのことでも成り立つ。
「俺がどれだけくるしい思いをしてきたのか、わかってない」と言ったとしても、そのくるしい思いというのはたいしたことじゃなということが、わかる。どうしてかというと、「そんなの、俺だって騒音ぐらいあった」とか「俺がどれだけくるしい思いをしてきたのか、「元気だ元気だと言えば元気になる」ということを信じていられるようなくるしい思い(くるしさ)でしかないからだ。
ぜんぜん、ちがう。そういうことを信じていられるという時点で、その「くるしさ」というのがたいして「くるしくないものだ」というのがわかる。「元気だ元気だと言えば元気になる」ということを、信じて!!!言っていられるぐらいの、つらさなんて、なんでもないよ。
「元気だ元気だと言えば元気になる」なんて方法がどれだけ無力か、思い知ってない。「元気だ元気だと言えば元気になる」なんて方法を信じていられるほどの気楽さ。
ほんとうにまったくわかってないなぁ。
「ほんとうにまったくわかってない」ということがわかる。
絶対に、そんなことは、言えなくなる。絶対に、「元気だ元気だと言えば元気になる」というのは嘘だということがわかる。絶対、「元気だ元気だと言えば元気になる」というのが嘘だということが、わかる体系んがないだけだ。人生において、そういう体験がないから「元気だ元気だと言えば元気になる」などと、「くそのんきなこと」を言える。