ヘビメタ騒音の体験がない人になにを言ってもむだだ。わかるわけがない。けど人によって、理解度がちがうんだよな。一発で、わかる人と、どれだけ説明しても、わからない人がいる。もちろん、一発でわかると言っても、説明を聞いてわかる範囲でわかるというだけで、体験してわかるのとはちがう。けど、わかる人と、わからない人で、ほんとうに俺に対する態度がちがう。この、わからないやつの、俺に対する態度はひどい。ぶっ殺したくなる。ぶっ殺さないけどさ。一〇〇発ぐらい、なぐってなぐって、「過去のことは気にするな」と言ってやりたくなる。「いたいと言うから、いたくなるんだ」と言ってやりたくなる。「すべては、受け取り方の問題だ」と言ってやりたくなる。「いたいという現実をおまえがつくっている」と言ってやりたくなる。「うまれるまえに、(俺に)ここで、なぐられるということを、おまえが選択した」と言ってやりたくなる。「おまえがうまれるまえに、選択したことなのだから、自己責任だ」と言ってやりたくなる。
一〇〇発、なぐられたぐらいじゃ、ずっと下半身不随になることはないと思うけど、ずっとたてないからだになったら、「たてないと思うから、たてないんだ」と言ってやりたくなる。 たてないからだになって、一〇年間生活していたら、ベットの横に行って「一〇年前のことなんて、関係がない」「こだわっているからだめなんだ」と言ってやりたくなる。「俺なんて、みろ……こだわってないから、元気だ」「こだわる必要がないことには、こだわるべきではない」と言ってやりたくなる。「執着がくるしみをうみだしているのだ」と言ってやりたくなる。
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ほんとうに、どれだけ人生のマイナスになるか、わかってない。説明したって、これまた、きちがい親父やきちがい兄貴とおなじようなレベルでわからない。しくみはちがうけどね。ともかく、そいつにとっては、そういうことが、自分の人生のなかで発生しなかったことなんだよ。だから、『影響をうけてない』。本人が影響をうけてないと、『そんなのは関係がない』と思ってしまう。自分と他人の境界線があいまいなので、自分にとってたいしたことじゃないから、俺(エイリ)にとっても、たいしたことじゃないと感じてしまう。本人が体験した「騒音」がたいしたことではないので、エイリさんの騒音もたいしたことがないと思ってしまう。『きちがい的な家族』といっしょに、家族としてすごしたことがないので、きちがい的な家族のことがまったくわかってない。わかってないのに、『普通の家族』の基準をおしつけて、ものを言う。ようするに、『俺の家族』があたかも『普通の家族』であるような前提で、自分の意見をおしつけてくる。『俺の兄貴』があたかも『普通の兄貴』であるような感覚で、ものを言う。そして、そういう、かくされた前提をもっている……自分の意見が正しいと思っている。ほんとうに、頭がわるいなぁ。わるすぎる。これは、頭がわるい人にはわからないと思うけど、『侮辱』だ。俺に対する侮辱だ。きちがい的な家族にやられ続けると、世間的な意味で、頭がわるいやつに侮辱されることになる。下に見られることになる。とくに、ヘビメタ騒音は、そうだ。学歴と生活に影響をあたえる。ほんとうに、不可避的に睡眠回路を破壊されて、寝不足状態で生活することになる。それは、理解力の低下、体力の低下、気力の低下、反応速度の低下をもたらす。きちがい兄貴の意地がわからないから、ほかの人は、普通に誤解する。きちがい兄貴の感覚もわからない。きちがい兄貴は、どれだけ鳴らしても、鳴らしたつもりがない状態で暮らしている。頭がおかしいからそういうことができる。あいつの態度は、一分もでかい音で鳴らしてないと思っている態度だ。自分がきちがい的な意地でやったことは、全部、自分がきちがい的な意地でやってないことになっているのである。やりきったあとそうなる。これは、きちがい兄貴ときちがい親父でまったくおなじだ。これ、家族として!いっしょにすんでないとわからない。これがどれだけひどいことか、みんなわかってない。そりゃ、自分の家族がそうではなくて、自分の身にそういうことがしょうじなかったのであれば、わからないだろう。けど、これがもたらす影響はでかい。「過去のことだから関係がない」などと言えるようなものではないのである。それも、わからないと思う。普通の人にはわからないと思う。