みんな、わかってないようだけど、金本位制は、成り立つ。ようするに、原理的に無理ではないということだ。むしろ、兌換紙幣時代のほうが、異常なのかもしれない。いづれにせよ、金本位制は、成り立つ。だから、「そんなのはむりだ」「そんなことが、成り立つはずはない」と考える必要性はない。
「いまの通貨流通量を考えれば、金がたりない」と考える人がいるのだ。しかし、そんなことはない。金の価値が高くなれば、量の問題は解決できる。なんでビットコインの値段があがったかと言うと、ビットコインの量をかえなかったからなのだ。
ビットコインは、これからは、消滅の方向に進むと思うけど、彼らがビットコインの量をかえなかったということは重要だ。ビットコインの量がかわらなかったということがとてつもなく、重要だ。
まあ、これから買うとしたら、金と連動している仮想通貨だろう。まあ、それはいいとして、量が限られているということが重要なのだ。
たとえば、土地と言うのは、「面積が限られている」ものだ。かぎられているからこそ、価値があがる。たとえば、一平方メートルあたり、一円の土地が、一平方メートルあたり、一万円の土地になったとする。一万倍価値があがったということだ。
しかし、「その土地」は「その土地」のまんまなのである。
本質的にはかわらない。
しかし、交通の便が良くなるとか、店が多くなるといったことや、なんとなくおしゃれな街であるような感じがするということで、土地の価値があがる。
ビットコインにしたって、ビットコインはこのさき価値があがるだろうと思う人が多かったので、価値があがった。ビットコインは、悪魔側が仕掛けた集金装置だ。これがわかってない人が多いんだよね。
肝心なのは、土地は面積が決まっているということや、ビットコインは最初に決めた量しか発行しないということだ。金は、そういう性質をもっているのである。そして、別に金自体を持ち歩かなくても、、金に関連付けされた自国の貨幣があれば問題はない。
今回、言いたいことは、金は量が限られているので、そのぶん、価値が変動しやすいということだ。価値というのは、この場合、貨幣でさししめされる値のことだ。一グラムの金が一円から、一万円にあがったとする。それは、一平方メートルの土地が一円から、一万円にあがることとかわりがない。なので、「金の量が少ないから、金本位制なんて成り立たない」という意見は、まちがっている。
で、ある程度あがったところで、今度は、平衡を保つようになる。今現在の貨幣の流通量と今現在の金の保有量がだいたい、均衡するところで金の値段がおちつく。また、時間がたてば、人々の「もの」に対する、関心の度合いがへる。地合いが白になれば、自分にとって適切な量だけあれば、それで満足できるような状態になる。
まあ、時間をどう考えるかという問題がある。期間の長さをどう考えるかという問題だ。信用創造がなくなるということは、重要ことだ。信用創造がなくなり、人々のおカネに対する考え方がちょっとかわってくる。いままでとは、ちがってくる。「おカネをかせがないと飢え死にするかもしれない」というような考え方がなくなる。別にお金をかせがなくても、死んだりしないからだ。けど、時間の長さは考えないとだめだ。いつ、そういう社会になるは、わからない。
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「いまだって生活保護があるじゃないか」って? それはちがうよ。生活保護は、ラッキーな人しか受けられない。この、受給資格があるにもかかわらず実際には、受けられない人がいるということがどういうことなのか、わかってない人たちがいる。条件を満たしているにもかかわらず、生活保護をもらえない人たちがいる……。これがどれだけでかいことか、わかってない。そんな制度は、信用できない。信用できない制度を信用するわけにはいかない。受給資格が法的にさだまっているにもかかわらず、受けられる人と受けられない人が出てくる……。こんなでたらめな、制度はない。こんなものは、事実上ないものとしてあつかうしかない。