きちがい兄貴の『ヘビメタのやり方』が、異常なので、ぼくが異常な人に思われるのである。もう、そういうことの連続で、いやだ。これ、きちがい兄貴の『ヘビメタのやり方』というのは、おかしい。そりゃ、感覚器を無視して、でかい音で鳴らしているのにでかい音で鳴らしてないと「本気で思うことができる」というのが、まずおかしいけど、そのほかにも、きちがい親父とおなじように、いろいろとへんなところがあるのである。
で、ほんとうに物理的にでかい音で鳴らしていたのだけど、物理的にでかい音で鳴らしているということを、認知している態度ではなかったんだよ。普通の人であれば、でかい音で鳴らしているということを、感覚器が正常だから知っている。
もちろん、聴力に異常がある人は、そういうことを明示しているし、相手にも納得がいく。ようするに、兄貴がほんとうに聴力障碍者である場合は、ほかの人にとっても、ぼくにとっても納得がいく状態なのである。けど、きちがい兄貴は、正常な聴力をもちながら、自分のヘビメタだけは、小さく聞こえるという心理的な機制をもつ人間だった。
で、これは、きちがい兄貴にもわかってないし、ほかの人にもわからないことなのだ。きちがい兄貴の状態、きちがい兄貴の言ったこと、きちがい兄貴の行動、を吟味してみると、自分のヘビメタに関しては、耳が悪くなる人間なのだと、ぼくが解釈しただけだ。
実際に、そういうことを、きちがい兄貴はしてきたので、そういう人間だと思う。しばいでやっているわけじゃない。知っているけど、知らないふりをしているわけではない。けど、聴力が弱いわけでもないという、こっちにとっては、こまった状態の人間なのだ。こまった、脳みその癖をもつ人なのだ。
こんなの、実際に、迷惑をかけられている人間しかわからない。その、かくされた異常性が、どういうふうに、現象に影響をあたえるかなんて、ほかの人にはわからないし、説明したところで、興味がないことだ。