いろいろと考えていることはあるのだけど、書くわけにはいかないのだ。書いたとしても公開するわけにはいかない。『強迫神経症と父親』についてだ。どうするかな? あんまり書きたくないエピソードがある。ほんとうなら、論文にするべきだ。どうするかな? ヘビメタ騒音で学者へのキャリアパスが粉砕されたからなぁ。どうするかな? 生きているうちに書くべきか?
しかし、このさきどうするかな?
かわるんだよ。
このさき、かわる。
世界がかわるわけ。
* * *
ところで、いろいろといやな記憶があるんだよな~~。ずっと忘れていたのに、きちがい親父の入院・転院騒動で、親父とかかわっていたら、俺の神経症レベルがあがって、思い出してしまった。ほかの人には、まったくわからないだろう。そして、その文章の価値がわからないと思う。
もし、ひかりの時代がくるなら、この時代の神経症に関する論文はそれほど価値がないものになりえる。それから、ひかりの時代ということについて説明している、精神世界の人たちのことだけど……。俺からすると……精神世界の人たちもなぁ……と言いたくなってしまうところがある。
この人たちはこの人たちで、感覚器を書き換えてしまうタイプのきちがい的な親が子どもにどういう影響をあたえるのかまったくわかってないところがある。この人たちは、金持ちのボンボンとおなじでまったくわかってない。金持ちのボンボンは、そこそこ、黒い社会に適応できる人間なので、それなりに、黒にそまっている。良心が痛まないタイプだからなぁ。精神世界の人たちは、神経症的に!良心がいたくなるタイプの人間のことが、ほんとうに、まったくわかってない。
そして、じつは、そういうハンディ?がある人間たいして、ステレオタイプ的な決めつけをして、そういうハンディ?がある人間を不愉快な気持にさせている。
けど、精神世界の人たちは精神世界の人たちで、じつは……。精神世界の人たちは、自分が相当に「波動が高い」存在だと思っていると思うけど、じつは、そんなには高くない。もちろん、高い人もいるけど、それほど高くない人もいる。
波動がほんとうに高い人は、きちがい的な親にやられた人を、傷つけない。
どうしてかというと、「わかっている」からだ。
わかってない人が、傷つける発言をがんがんする。その発言の背後にはある種の妄想的な?決めつけがある。その決めつけは、本人にとって、ゆずることができないたいせつなことなので、ゆずらない。