あーー、俺は、ほんとうによく生きているなぁ。ヘビメタ騒音なしで、あの子と普通につきあいたかった。ヘビメタ騒音なしで、中学生活をおくりたかった。ヘビメタ騒音なしで、高校生活をおくりたかった。ヘビメタ騒音なしで、大学キャンパス生活をおくりたかった。ヘビメタ騒音なしで、ダイヤと旅行に行きたかった。ヘビメタ騒音なしで、ダイヤと文学的な同人誌をつくりたかった。ヘビメタ騒音なしで、自分の知識をいかして、起業したかった。ぜんぶ、ぜんぶ、ないわぁ。
どうしても、ヘビメタ騒音でくるしい。どうしても、くるしい。これでいきてたって……。これで、いきてたって……。いきてたって……。
くるしかった。すぐに鳴りやんでほしかった。ずっと鳴りやまなかった。
「すぐに鳴りやめ」と言って鳴りやまなかったのだから、言霊は成り立たなかった。きちがい兄貴に直接どれだけ言っても、鳴りやまなかった。きれいごとは、成り立たなかったということだ。みんな、どのみち、きかなかった「おまじないのような方法」を、あたかも、絶対法則のように言うのはやめてくれ。
きれいごとが成り立つなら、苦労してないんだよ。こまってないんだよ。どうして、きれいごとを言って、「うわのせ」をしてくる。これ、みんな、わかってないけど、きちがい的な家族にやられたら、おしまいだ。世間の人は、きちがい的な家族の味方をする。やられたほうを、なじる。やられたほうに、説教をする。そんな説教の「きれいごと」が成り立っていたら、そもそも、苦労してない。きちがい兄貴に一回目、「やめてくれ」と言ったら、やめてくれたはずだ。
みんな、きちがい的な家族にやられたことがない。きちがい的な家族にやられた人間は少数派だ。きちがい的な家族に人生を破壊されて、死んでしまう。生きてたって、ロクなことがない。どうしてかというと、毎日やられるからだ。そして、毎日やられれば、そういうことが、つもる。負の効果がつもる。負の出来事がつもる。鳴っているなかで、どんだけの不安に襲われるか? みんな、きちがい兄貴のきちがい的な態度がわかってない。みんな、きちがい兄貴のきちがい的な感覚がわかってない。きちがい兄貴も、じつは、自分の……きちがい兄貴の感覚がわかってない。そりゃ、感覚器を書き換えてしまうようなやりかたで、「うそ」を押し通す。「うそ」をついているつもりがない。こういうのが、ごく自然に成り立つ。こういうきちがい家族にやられたことがない人は、まったくなにもわかってない。
ほんとうに、いろいろ、あったなぁ。全部、俺が不利な立場に立たされることだ。