2022年4月14日木曜日

他人を奴隷にしたり、他人を殺したり、他人を不幸にすることで、よろこびを感じるような人たちが、トップにいるような社会

問題なのは、地合いが黒であって、なおかつ、生まれの格差があるにもかかわらず、地合いが黒であることや、生まれの格差があることは、無視されるということだ。無視されて、きれいごとが成り立っている。

たとえば、認知療法の理論、行動主義心理学の理論、ポジティブ思考の理論、言霊の理論、思いは現実化するという意味での成功法則、引き寄せの理論、すべては受け止め方の問題だとする霊界理論、たましいが自分の条件を選択したのだという霊界理論……こういうものが、すべて、地合いが黒であるという状態に奉仕し、生まれの格差を無視する。

地合いが黒だ……ということは、非常に重要なことだ。

地合いが黒であるということは、つねに悪魔のささやきがある状態なのである。「じぶん」がよければ、ほかのものは、自分の行為によってどうなってもかまわないというような自分勝手さが、奨励されている世界なのである。たいていのものは、自分がよくなりたいので、他人を犠牲にする。そういうことに、なれてしまう。

そして、そういうことになれてしまっているのにもかかわらず、じつは、きれいごとを言う。いまに、わかると思うけど、世界の指導者としてきれいごとを言ってきた人たちは、ほぼ全員、猛烈に悪いことをしている。たましいをけがすことをしている。まあ、それには触れないでおこう。

ともかく、地合いが黒である状態だと、人は、簡単に悪魔の誘惑に負ける。地合いが黒である状態だと、「じぶん」さえよければ、ほかのものはどれだけくるしい思いをしてもいいというような考えに陥りがちだ。勝ってしまえば、それでいいという考えに陥りがちだ。上位に立ってしまえば、それでいいという考えに陥りがちだ。そして、それを実行する。しかし、それは、悪いことなのである。

しかし、そういう状態でも、なおかつ、人は、きれいごとを言うことができる。きれいごとの活動に奉仕することができるのだ。なので、「うえ」の人がそういうことをしていると、「した」の人は簡単にだまされてしまう。

「うえ」の人が言っているきれいごとが正しいと思うようになってしまう。もちろん、実際は、きれいごとではなくて、悪が成り立っている。地合いが悪なのだから、悪が成り立っている。

けど、悪が成り立っているということについて、人々は無関心になる。今回の〇〇〇〇騒動でそういうことが、あきらかになった。

ともかく、このような世界では、他人を蹴落としたい、自分が優位な立場に立ちたいという、自分勝手な気持?が鼓舞されて、承認されるのである。実際にそういうことになれしたしんでいる人が、社会の上層部にたくさんいるということになる。

これからは、地合いが白になるので、他人に対する思いやりが、成り立つ社会になる。地合いが黒である社会でも「他人に対する思いやり」ということは、きれいごととして、よく言われることだ。〇〇〇〇でも、「思いやり〇〇」ということが言われた。

しかし、悪魔に奉仕する人たちが言う「思いやり」はじつは、不幸なことを引き起こしてしまう「思いやり」だ。そして、悪魔に奉仕する人たちは、それを知っている。知っていてやっている。

つまり、自分さえよければ、他人が死のうが、他人が不幸になろうがかまわないという考えに基づいて、〇〇〇〇〇〇をしたほうがいいということを言ってしまう。それが思いやりなのだということを言ってしまう。

これは、普通の人にとっては、まさに、悪魔のささやきだ。負けては、いけない。

けど、あたかも、〇〇〇〇を打つことが、思いやりのある行為に思えてしまうのである。ようするに、負ける。悪魔のささやきに負けてしまう。

この人たちは、他人を殺し、他人を不幸にするために思いやり〇〇をすすめている。そういうことに、気がつかなければならない。この〇〇〇〇〇〇のすすめこそが、悪魔に支配された「地合いが黒である社会」の特徴をあきらかにしている。他人を奴隷にしたり、他人を殺したり、他人を不幸にすることで、よろこびを感じるような人たちが、トップにいるような社会だ。 

+++++++++++


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。