ほんとうに、悪い意味で、きちがい的な親にたたられた人間が経験したことなんて、普通の人はわからない。わからないでものを言う。生まれの格差と言っているけど、生まれの格差には、主に、ふたつある。ひとつは、カネの格差。もうひとつは、親の格差だ。正確に言えば「親の性格」の格差だ。「の」が繰り返されるので、あんまり、そういうふうには言いたくないのだけど、「親の性格」の差がでかすぎる。これは、何度も言うけど、時間とともに、拡大していく。生まれの格差というと、生まれたときに固定して、あとはそんなに変わらないような感じがするかもしれないけど、そうじゃない。そうじゃないんだよ。親の頭が、わるーーい意味でおかしいばあい、むなくそわるい出来事が、積み重なっていくのである。で、普通の人は、わるーーい意味で、頭がおかしい親がどういう態度で、どういうことをするかなんて、まったく、わからない。これ、説明してもわからないんだよ。「そんなこと、ないんじゃないの」とか「なんか、誤解をしているのではないのか」とかと言われてしまう。
ともかく、積み重なることなんだよ。時間の経過とともに、わるい経験がつみかさなって、のすごい差になっていくわけ。まるで、そういうことがないような感覚で、生まれの格差・上の人と生まれの格差・中の人が、 生まれの格差下の人をののしる。無理解な発言をする。これ、親がおかしいのに、やられている子供のほうがおかしいような感じになってしまう。「そういうことがないような感覚」というのは、「そういうことが現実世界で発生しないという認識のもとに(子供側の発言を判断する)」ということだ。もっと平たく言うと、「そんなのは、へんだから、ほんとうの話じゃないのだろう」ということだ。