一段階目のやつが、二段階目のやつを踏んづける。二段階目のやつが、三段階目のやつを踏んづける。三段階目のやつが、四段階目のをやつを踏んづける。
もちろん、一段階目のやつは、二段階目のやつだけではなくて、三段階目のやつや四段階目のやつを踏んづけることができるし、実際、踏んづけている。
N段階目まであるとすると、N段階目のやつは、その上のすべてのやつらに踏んづけられたうえに、「踏んづけられるのが悪い」とせめられる。
こういう世界だ。そして、「いつもニコニコしていれば、しあわせになる」とか、「できると言えば、できる」とか「人に親切にすればしあわせになれる」とか「すべては受け止め方の問題だ」とかというきれいごとが、こういう世界を維持するためにつかわれる。
こういうきれいごとは、こういう支配体系と、セットになっている。補助システムなのである。言論だけではなくて、慈善団体や宗教団体が、このシステムを補助している。だから、N段階目のやつは、うかばれない。踏んづけられて、踏んづけられるからだめなんだと説教を食らい、まったく役に立たない助言をされる。役に立たないどころか、マイナスの助言をされる。
マイナスの助言というのは「いつもニコニコしていれば、しあわせになる」とか、「できると言えば、できる」とか「人に親切にすればしあわせになれる」とか「すべては受け止め方の問題だ」とかということだ。
これらは、N段階目の人の首をしめる。くるしめることにしか貢献しない。「いつもニコニコしていれば、しあわせになる」とか、「できると言えば、できる」とか「人に親切にすればしあわせになれる」とか「すべては受け止め方の問題だ」とかということが成り立つには、まず、こういう段階システムがなくなってないとだめなのだ。
こういう段階システムを維持したままそういうきれいごとを言うことは、こういう段階システムを、強化することになる。
N段階目の人だけではなくて、N-1段階目の人だって、N段階目の人のようにくるしい思いをしている。けど、N-1段階目の人は、N段階目の人には、いばれる。
N-1段階目の人は、N-2段階目以上の人にやられたことを、N段階目の人に、やることができる。踏みつけて、説教をして、ダメ出しをして、おまえが悪いからそういうことになると言って、すべては受け止め方の問題だと言って、いつもニコニコしていれば、しあわせになれると言うことができる。
実際には二段階目以下の人は、こういう状態だ。数はちがうけど、おなじことが成り立っている。一番上以外、幸福にしないシステム。それが、この世で採用されてきたシステムだ。
注意しなければならないことは、精神世界の人が普通に言っているきれいごとは、こういうシステムを、維持することに役立つということだ。こういうシステムが、より強固なものになってしまうのである。