「言えば、言ったことが現実化する」というのは、「私は魔法が使える」と言っているのとおなじなのである。まるまるまると発言するだけで、現実にそうなると言っているのだから、魔法の呪文を唱えると、すべてが現実化すると言っているのとおなじだ。
言うだけで、そうなるのである。言えば、そうなるのである。だから、そういうことが現実化してほしい人は、そうなると「ひとこと」言えば、実際にそうなるのである。「ならないということはないのである」。
たとえば、私は天皇になると言えば、天皇になってしまうのである。言うだけで、天皇になる。実際に天皇になる。頭のなかで、天皇になるだけではなくて、現実世界で天皇になるのである。あるいは、私は、Aさんを天皇にすることができると言えば、できると言ったのだから、できるのである。そういう力をもっているということになる。なので、ほんとうは、「私」が考えたことは、すべて、実現化するということを言っている。そして、実現化させる方法は、言うということなのである。ただ単に、「言えば」そうなるのだから、言うだけで、現実化する。
+++++
言霊的なことを言う人たちは、自分のことについては、自分の条件について、知っているので、その条件を重視して、現実世界において重要な行動をすることになる。この、現実世界において重要な行動というのは、「言うこと」以外の行動だ。とりあえず、これを段取り行動ということにしよう。たとえば、おいしいカレーを食べたいとする。おいしいカレーを食べるには、「目の前においしいカレーがあらわれる」「私は目の前のカレーを食べることができる」と言えばいい。しかし、実際には「目の前においしいカレーがあらわれる」と言っても、目の前においしいカレーがあらわれることはない。それだけでは、おいしいカレーがあらわれない場合のほうが多い。だれかと打ち合わせをしておいて、私が「目の前においしいカレーがあらわれる」と言ったら、事前に作っておいたおいしいカレーを私の前に運んでくれと言っておけば、「目の前においしいカレーがあらわれる」と「言っただけ」で、おいいカレーがあらわれることになる。しかし、それは、例外だ。「目の前においしいカレーがあらわれる」と何千回言っても、「それだけ」では、おいしいカレーがあらわれることは、わずかな例外をのぞいてない。わずかな例外に関しても、事前に段取りをしておいたということにすぎない。実際には、おいしいカレーを食べたいと思ったときには、おいしいカレーをつくって食べるとか、おいしいカレーを食べさせてくれるレストランに行くとか、おいしいカレーを配達してくれるところに注文の電話をするということになる。それは、段取りでしょ。こういう段取り行動が必要だということは、「言っただけでは出てこない」ということが成り立っているということを意味している。そして、「言っただけでは出てこない」ということを言霊信者も知っているということを意味している。特別な段取りをすませておく場合を除いて、言霊信者だって、「言っただけでは出てこない」と言うことを知っているのだ。言霊信者だって、おいしいカレーを食べたいと思ったら、「目の前においしいカレーがあらわれる」ということを言わずに、おいしいカレーを提供している店に行くという行動をとったり、おいしいカレーを提供しているところに出前の電話をかけるという行動をとったり、あるいは、自分でおいしいカレーをつくるために、カレーの材料を買いに行ったり、あるいは、すでに買ってあるカレーの材料で、おいしいカレーをつくるということをする。実際には「言えばそうなるのだから、そうなるように言う」というような行動をとってない。「おいしいカレーを食べられる」と言えば、おいしいカレーが食べられるようになるのだから、「おいしいカレーを食べられる」と言うだけで、おいしいカレーが食べられなければならない。具体的には、目の前に、おいしいカレーがあらわれなければならない。実際には、さらに、おいしいカレーの一部を取り出し、くちまで運ぶというような行動や、くちのなかに入れたカレーの一部を咀嚼するという行動が必要になる。こういう、あたりまえの行動だって、できない人はできない。これは、できない人には、できる条件がかけていると表現してもいい。自分の手を動かさず、「カレーよ、私の口の中に入っておいで」と言えば、カレーが勝手に口の中に入ってくるということは、普通の場合はない。そして、普通の場合はないということを、普通の言霊信者は知っている。しかし、「言えば、現実化する」ということを言う。「言えば、現実化する」のであれば、おいしいカレーを食べるには、まず、目の前においしいカレーがあらわれる」と言ったあと、私の口の中に入っておいで」と言えばいいということになる。それ以外の方法は「必要がない」のである。……もしかりに、言霊信者が言うように「言えば、現実化する」と言うことが真実であるのであれば、そうなる。ところが、言霊信者は、「言っても、現実化しない」ということを知っているので、言霊信者にしても、おいしいれカレーが食べたくなったら、具体的な段取り行動をするということになる。どの、段取り行動が選ばれるかは、その人が抱えている条件によってちがう。そして、条件を判断したあと、本人にとって最適な、あるいは、本人が最適だと思うような段取り行動をするということになる。なのであれば、現実化させているのは、実際の段取り行動だということになる。「言うこと」とはまったく関係がない「段取り行動」をするということが、現実化させている。なにを現実化させているかというと、その人の、願いだ。この場合は「おいしいカレーを食べたい」という願いを、この人が、実際の段取り行動をすることによって、現実化させている。言霊信者さえも、じつは、そういうことをしている。考えるまでもなく、自分の『条件』を考えて、どういう段取り行動がふさわしいかを判断して、「自分がその時点でふさわしいと思った」段取り行動をするから、願いが叶うのだ。けっして、言っただけでは、かなわない。しかし、言霊信者の場合、たとえば、「私はおいしいカレーを食べる」と言ったあと、「自分がその時点でふさわしいと思った」段取り行動をしはじめるのである。そうすれば、「言ったから、現実化した」と考えることができる。「私はおいしいカレーを食べる」と言ったから、おいしいカレーが食べられたと考えることができる。本人のなかでは、言ったから、現実化したということになる。しかし、その人は、自分が実際に段取り行動をしたということを無視している。そして、段取り行動が可能でなければ、おいしいカレーを食べることができなかったということを、無視してしまう。