それからちょっと言っておくけど、「ポジティブか」「ネガティブか」が価値基準の支柱になってしまうのは、よくないことだ。それは人間のこころを貧しくする。おなじように「効率的か」「非効率的か」が価値基準の支柱になってしまうのは、よくないことだ。それは人間のこころを貧しくする。
けど、悪が支配するこの世では、「ポジティブのほうがネガティブよりいい」とか「効率的なほうが、非効率的な場合より、すぐれている」とかということが言われる。
けど、これは、「すべての状態において」成り立つことではない。
けど、「すべての状態において成り立つことではないけど」というようなまえおきを置かないで、そういうことを言う。言っている人も、実際に、「すべての場合においてポジティブなほうがネガティブなほうよりもすぐれている」と思っているし「すべての場合において、効率的なほうが、非効率的な場合より、すぐれている」と特に意識することなく思っている。
効率的か非効率的かということを考える場合、じつは、視点が限られている。
ひとつの点において、効率性を優先すると、不可避的で連鎖的な一連の出来事がしょうじて、じつは、ある部分を阻害する。そのある部分というのは(その視点から見ると)非効率的なものであるかもしれないけど、じつは、こころの安定にとって必要なものだったりするのだ。
ならば、こころの安定という視点を導入すればいいということになるかもしれないけど、複数の視点について考えたとしても、個々の視点が、個々の視点である限り、ひとつの視点を導入したときおなじ問題がしょうじる。
複数の視点を導入しても、不可避的で連鎖的な一連の出来事がしょうじてしまう。不可避的で連鎖的な一連の出来事がしょうじてしまうと、導入されなかった視点から見ると、ネガティブなことがしょうじているということになってしまう。
この場合は、ネガティブなことというのは、非効率的なことと言い換えてもいい。ふたつの視点を導入したときに、ほんとうに、そのふたつの視点が両立するのかという問題も含まれている。
おなじことなんだけど、そういうことだ。
そうなると、優先順位をつけるということになる。優先順位をつけるということは、優先順位をつけるという上位の視点を導入したことになる。
なので、けっきょく、こういう問題を解決できない。