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うんと手短に言ってしまうと、「元気だ元気だと言えば、元気が出る」と言っている人が経験した「困難」と、ぼくが経験した「困難」が困難の質において違うのではないかと思う。きちがい家族による頑固な、そして、自覚がないきちがい的にでかい騒音が毎日続くというのは、その人たちが、想像できない困難なのである。どうしてそういうことが言えるかというと、もし、きちがい家族によるヘビメタ騒音という困難を経験したなら……ずっと毎日、何年間も何年間も経験し続けたなら「元気だ元気だと言えば、元気が出る」なんて、言えない状態になるからだ。ぜんぜんちがうということに、気がつくだろう。何千日目に気がつくかは別にして。「元気だ元気だと言えば、元気が出る」と言っていられるということが、そういうことを明示している。そんなことは、言ってられなくなる。くるしくてくるしくてたまらない状態になる。