2022年2月22日火曜日

影響の持続時間がわからない。わからないだけなのに、えらそうなことを言って!!!

つまーーんない。

やっとだよ。やっと。やっと風呂に入れた。やっと、殺虫剤をまいた。しかし、どうするかな? 引っ越すしかないのだけど、エネルギーがたりない。じつは、今日は資源ごみの日なんだけど、時間内に行けなかった。じつは、なまごみもたまっている。じつは、プラスチックごみもたまっている。最近、起きる時間が、ちょうど、清掃車が行ったあと、だから、問題がある。はやめに起きて出しに行くということはできない。これができたら、出勤して働ける状態だ。通勤できるね。その能力を、きちがい家族によってはかいされた。俺は、もともとは、できるんだぞ。これ……。ほんとうに……。きちがい家族がヘビメタ騒音を鳴らさなかったから、その能力をもっているやつが、俺を侮辱する。「できない」と思ってバカにする。自分はできるけど、エイリさんはできない……。だから、俺のほうが能力がある。だから、俺のほうがえらいと勘違いしたやつが、いろいろと勘違いしたことを言ってくる。そういうことになってしまう。きちがい家族が、きちがい的な基準で、自分のやりたいことを、やると……何年間も、十数年間も、毎日毎日やると、やられたほうの家族が、能力をうしなうことがある。その場合、能力をうしなったほうの人(家族の一員)が、「よその人」から文句を言われることになる。「よその人」からばかにされる。「よその人」だって、100人中100人、おなじ状態で暮らしていたら、できなくなるのに、それがわからない。傲慢でばかだから、わからない。想像力がないから、俺の話を聞いても、わからない。自分は、できると思っているから、できない俺を侮辱してくる。「通勤ができない」……そんなばかなことはない。「たるんでいる」「あまえている」と言ってくる。こういうことになってまうんだよな。あの音の連続で、夜、眠れるわけがないだろ。それまで、普通に寝ていた時間、どうしても眠れなくなる。起きているときになっていたヘビメタ騒音の効果でどうしても眠れなくなる。普通の人は、俺とおなじ経験がないので、それがわからない。起きているときになっていた音で、夜、眠れなくなるなんてことはない……と、悪い頭で思っている。「鳴り終わったら関係がない」「眠る時間に鳴っていなければ眠れるはずだ」と、悪い頭で思ってしまう。これは、本当に悪い頭だと思う。悪すぎる。まあ、経験がないだけかもしれないけど。ぼくとにとって、それがどういうことなのか、ぜんぜんわかってないんだよな。説明すればわかるかというと、わからない。説明をすると、「いいわけをするな」とか「なきごとはいい」と言ってくる。おまえだって、きちがい親父の家に生まれて、きちがい親父にやられて育ち、きちがいおやじとおなじ頭のクセをもっている、きちがい兄貴に、ずっとずっと、自分がこの世で一番嫌いな音を、新規りょりで鳴らされ続ければ、そういう状態になる。「できなくなる」。そういう経験がないから……長年の経験がないから……できるつもりでいるだけだ。「自分なら、たとえそういうことがあったとしてもできる」と思っている。経験してないから、そう思えるだけなのに……。自信をもってそう思っている。頭が悪すぎる。きちがい親父とか、よその家では絶対にならことができない大きな音でずっと、ヘビメタを鳴らし続ける兄が「いない」家で育った人は、実際にそういう家で育った場合、どういうことが起きて、どういうふうに疲弊して、できなくなっていくのか、わかってないだけだ。このハンディは、ほかの人にとってめちゃくちゃにわかりにくいハンディなのである。そして、絶対数も、少ない。はっきり言えば、ぼくが抱えているようなハンディと、発達障碍者が抱えているハンディが、ほかの人にとってどのくらい分かりやすいということをくらべれば、ほかの人にとっては、発達障碍者が抱えているハンディのほうが、まだ分かりやすというところがある。けど、このハンディを抱えていると普通に働くことはできない。普通に働くことができないということがどういう影響を与えるか、他人にはわからない、不可避的な理由で働けなくなった人じゃないとわからない。手短に言えば、発達障碍者のほうが、長く続くひどい騒音で一定の時間に起きることができない障碍者よりも、多い。発達障碍者のほうが、人数が多く、理解されやすい状態なのだ。『家族性』の睡眠障害なんて、理解されない。「家族」だから、理解されない。「家族なら言えばいいでしょ」「家族なら、言えばわかってくれるよ」というのが、こういうやつらの、言い分だ。信じていることだ。ぜんぜん、ちがう。こういう人たちが考えていることでは、ぼくの現象は説明できないのだ。認知療法はじつは、普通の人や恵まれた人が、普通の感覚に基づいて作った療法だ。前提がちがうのである。前提がちがうと、その前提を使って考え出されることも、ちがうということになる。けど、前提がちがうということを認知療法家やその信者は理解してない。理解できるわけがない。どうしてかというと、そういう理解をないことによって成り立っている療法だからだ。現象を説明でなくても、そんなのは関係がない……のである。非・合理的な思想なのである。非・科学的な思想なのである。最初から、理解しないことにしている療法なのだ。理解できないから理解しないように決めたということだ。そのほうが、とじた体系のなかでは、合理性が成り立つ。この合理性は、せまい範囲内での合理性だ。そして、その体系ないの言語で説明することができない現象は、無視する。説明できない現象があるということは、本来はまずいことなのに、まずいことだと思ってない。逆に、無視することで合理的だと思ってしまう。そりゃ、体系内のことは、過不足なく説明できるのだから、合理的だと思うだろ。その体系のなかで思考している人はそう思う。

(障碍者と書くと、睡眠障碍と書かなければならない感じがする。)

 

兄貴に関して言っておくと、ずっと、やめようと思えばやめられる状態だったのに、ずっとやめなかったんだぞ。 そんなの、すぐにやめられる。普通の家だったら、一日目の、一分目にやめなければならない音のでかさだ。家族に言われてもわからない。きちがい兄貴の場合、兄貴の友達に言われても、わからないんだよな。その感覚が、おやじとおなじなんだよな。脳みそがまった同じ。脳の構造がまったくおなじ。感じ方が同じ。態度が同じ。これ、ほんとうに、親父や兄貴を見たことがない人はわからない。うちにいるときの!!親父や兄貴を見たことがない人はわからない。「あんな態度ない」という態度で無視して、やりきる。相手がどれだけどなって言っても、言われたという記憶がまったく残らないんだよね。ほんとうに頭がおかしい。無視モード?でやったことは、やってないことだし、無視モード中に言われたことは、言われたことになってない。そういう、都合のいい頭なんだよね。ごく、自然にそうなっている。そうなると、俺が佐藤のような凡人から、説教をされることになる。佐藤は、普通の家とはちょっとちがうけど、きちがい兄貴やきちがい親父がいないという意味では、普通の家に育った人間だ。普通の家で生まれて育った人間は、きちがい親父やきちがい兄貴のことが、根本的にわからない。俺の話に疑いをもっている。そして、「だったとしても」関係がないという思考をしてしまう。「過去のことなら関係がない」「過去のことなら、今現在に影響をあたえることはない」と自動思考してしまう。

もう、こういう世界はやめようよ。こういう世界。 

凡人が、特別に不利な人を、ぼろくそに言う世界。

凡人が、「自分は経験したことがない」とい理由で「そんなことはない」と思う世界。過小評価する世界。どれだけのことがおこなわれているか、わかってない。凡人すぎる。思考レベルが普通の人なので、わからない。俺の言っていることがわからない。自分が経験したことがないから、影響のでかさがわからない。影響の持続時間がわからない。わからないだけなのに、えらそうなことを言って!!! 


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。