2022年1月7日金曜日

まあ、なんのかんのと言ったって、「楽しむ能力」を喪失したのは、ぼくだ。そいつらじゃない。

 やっぱり、ヘビメタでつらいなぁ。どうにもならない。

楽しむ能力をうしなったということがでかいんだよな。長期騒音の「負の効果」としてそういう効果がある。もう、これ、決まっている。ヘビメタ騒音にさらされながら、学校に通った六年と半年で、ぼくは、すべてをうしなった。とにもかくにも、くるしい。けど、これが、「感覚として」ほかの人にはわからないんだよな。そうすると、ヘビメタ騒音の影響を無視したうえで、その人の意見を言うということになる。これも、相手からすれば、「そうするしかないだろ」ということであり、俺が無理なことを言っているように思うかもしれないけど、いろいろと問題がある。もう、それは、佐藤(仮名)とのやり取りを再現したところで、話した。佐藤には、一般人の代表者として登場してもらった。ようするに、佐藤だけではないのである。ああいう反応をしたのは、佐藤だけじゃない。佐藤らは、気がついてないかもれないけど、俺を侮辱している。これも、侮辱にならざるをえないのである。

ともかく、いろいろな能力をうしなったんだけど、一番でかいのは、楽しむ能力をうしなったということかもしれない。睡眠回路を破壊されて、通勤する能力をうしなった。それも、ものすごくでかいことだ。能力の喪失としてでかいことだ。ちょっとだけ言っておくと、ヘビメタ騒音で通勤する能力がなくなるということは、ぼくにとって、あたりまえのことだ。そうならざるをえないのである。しかし、佐藤らのなかでは、騒音で通勤する能力がなくなるということは、事実ではない。「そんなことはないだろ」と思えることなのである。だから、ここでも、「ヘビメタ騒音『で』通勤する能力がなくなった」という文のなかにある『で』を無視する。無視して、通勤する能力がほんとうはあるだろという、前提で、ものを言ってくるのである。たとえば、「人間働かなければならない」ということだ。この場合の働くというのは、通勤して働くということなのである。当時、そうだった。いまは、通勤しなくても働けるけど、当時は、通勤しないで働くということは、不可能だった。もちろん、通勤して働いていた人が、会社を離れて、自宅で働くということは可能だった。けど、これは、普通に、何年間も、あるいは何十年間も働いてきた人が、独立して、自宅で働く場合に限られていた。そうじゃない場合はないのである。当時、働くというのは、通勤して働くということだった。たとえば、佐藤がそういう発言をしたとき、佐藤が、通勤をしないで働くことを想定して、そういう発言をしたかというと、そうではないのである。当時、働くと言ったら、会社で働くということであって、それは、通勤して働くということなのである。それに、相違ありませーーん。まあ、これだって、当時の常識といまの常識がちがうから、わざわざ、説明しなければならないわけだけど、発言の背後にある常識というものを考えなければならない。それは、言ってはないけど、発言の前提になるものだ。

きちがい兄貴が、きちがい親父のようにこだわって、こだわってこだわって、自分の思い通りにヘビメタを鳴らさなかったら、こんなことになってないんだよ。俺は普通に通勤する能力があり、通勤していた。通勤していたのだから、佐藤がそれについてとやかく言ってくるということはないということになる……。もちろん、現実は、ヘビメタ騒音で通勤す能力をうしない、通勤する能力がないので働けず、働いてないということについて、佐藤が、ヘビメタ騒音のことを無視した説教をしてくるということになる……。事実なった。こういうことなのである。ぼくの人生というのは、こういうことの連続だ。他人がなめてかかってくる。ヘビメタ騒音にやられなかったら、こんなことになってない。こんなことの連続でいいわけがないだろ。

じつは、「楽しむ能力」に関しても、同じようなことが成り立ってしまう。世間の、ヘビメタ騒音がなかった人と、ぼくのあいだには、へだたりがある。そのへだたりは、でかい。常に相手が、ヘビメタ騒音の影響を無視して、頭がおかしいことを言ってくるのである。これはもう、頭がおかしいことだ。無視するな!! 思考の力のかけらもないな。

まあ、なんのかんのと言ったって、「楽しむ能力」を喪失したのは、ぼくだ。そいつらじゃない。ぼくが、楽しむ能力を喪失してこまっている。ヘビメタ騒音『で』喪失して、こまっている。もとは、そうじゃない。繰り返しがどれだけ、でかいか。でかい効果を与えるか、ほかの人はわかってない。ほかの人の人生のなかで、そういうことがしょうじなかった。きちがい家族による、ヘビメタ騒音がなかった。長期にわたるヘビメタ騒音がなかった。ヘビメタ騒音の影響を受けて眠れない日が、何千日も続いてしまうということがなかった。なので、楽しむ能力を喪失してない。なので、本人のこととしては、まったくわからない。「なにいってんだ」と思う。「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」……。はぁーー……。「けっきょく、人生は一度きりだから、楽しんだもの勝ち」……。はぁーーー。「本当につまらないやつは、つまらないつまらないと言っているやつ」……。はぁーー。

これは、きつい。 

そういうことを言っているやつだって、何十年もきちがい的にうるさい物理刺激を受け続ければ、睡眠回路がやられ、きつい暮らしをがんばってするようになる。そうなると、すべてが引きつって、楽しくないということがしょうじる。これは、不可避だ。ともかく、生物的な毒であれ、長期間の物理刺激であれ、睡眠回路と「お楽しみ回路」がやられてしまったら、だめなのだ。それを、行動療法的な「努力」、認知療法的な「努力」でどうにかしようというのは、まちがっている。どうすることもできないから。話がちがうんだよ。どうしてわからないのか? まあ、そういうことが、人生のなかで生じなかったからわからないんだろうな。比喩的に「お楽しみ回路」と書いたけど、海馬と視床下部あたりが、関係しているんじゃないかなと思う。たぶん、そこらへんに、生物化学的な『損傷』がしょうじていると思う。これもまた、比喩的な表現になってしまうけどなぁ。 


まあ、ともかく、楽しむ能力を喪失したというのは、でかい。これ、でかい問題。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。