ほんとう、ヘビメタでつらいだけの人生。むなしい。
これ、どれだけ、俺ががんばってきたか……。ヘビメタ騒音のなかでがんばってきたか。がんばったんだよ。けど、破壊された。
これ、俺の「がんばり」と「ヘビメタ騒音」の「合力」だ。ヘビメタ騒音だけじゃないのである。
がんばるしかなかったけど、がんばったので、こういうレベルで破壊された。
そういう経験がない人にはわからない。
けっきょく、俺に気軽な助言をする人は、きちがい兄貴やきちがい親父にたたられたわけじゃない。普通の家族に囲まれて、生まれ育ってきた人たちだ。そういう人たちが、常識的なことを言う。「そんなことじゃないからこまっている」……。
けど、わからないではない。ぼくががんばってきたというけど、そのがんばり方向は、常識的な人たちが言うことと、同じ方向を向いている。これは、そうするしかないのである。だから、そういう「がんばり」がぼくの人生を破壊し、ぼくの精神を破壊し、ぼくのからだを破壊したということは、ぼくにとっては、自明の事実だ。けど、きちがい兄貴がいない人は、それがわからない。その、俺が説明したときに、そういう状態になっているということがわかるだけで、小学六年生からの、ヘビメタ騒音との対決……の……過程がわかってない。過程というのは、時間を含んでいる。どれだけの時間、ぼくががんばってきたかわかってない。がんばりが、自分のからだと、自分の精神と、自分の人生を破壊した。そのがんばりというのは、ほかの人たちが、すすめてくることと、同じだ。助言と同じ方向を向いている。だから、「できない状態になった」のに、おなじ助言を「うわのせする」ということになる。その人たちは、そういう「つもりは」ないのだけど、意図せず、そういうことをすることになる。わかってないから、そうなんだよ。たとえば、まぬけな佐藤じゃなくて……常識的な佐藤が、「それでも、通勤できる」という前提で「働くことを」推奨してきたわけだ。「それでも」というのは、ヘビメタ騒音が鳴っていたとしてもということだ。常識的な佐藤から見ると、俺が、さぼっているようにしか見えないのだ。しかし、それはちがう。通勤と通学のちがいはあるけど、きちがい的な騒音が鳴っている、きちがい的な状態で、俺ががんばって通学したから……通勤できなくなったのだ。完全に誤解をしている。そして、きちがい兄貴が、平日は、きちがい的な意地で午後一一時までずっとヘビメタを鳴らしているということが、どういうことなのか、常識的な佐藤は理解してない。自分の経験をとおして理解していない。日曜日は、朝からずっと、午後一一時まで、ヘビメタが鳴っているということが、どういうことなのか、佐藤のような普通の生活をしてきた人は、わかってない。まったくわかってない。経験がないからだ。経験がない。どういうことなのかわかってない。自分で経験してみればわかるのだけど、砂糖の家には、きちがい兄貴がいなかったのだろう。ほんとうに、うちの兄貴は、きちがいだ。やり方がおかしい。精神がおかしい。認知、認識がおかしい。自分の感覚をだましてウソを言っているのに、ウソを言っているつもりがないという状態で毎日すごしている。これは、もう、だいぶ詳しく書いたので省略する。けど、このきちがい兄貴のきちがい感覚……自分の騒音に関するきちがい的な感覚は……普通の家に生まれ育った人には、絶対に理解できないことだ。
ここも理解していないし、自分が実際にやられたわけではないので、そういう毎日がどういう毎日か、わかってないのである。
そりゃ、きびしい毎日だよ。けど、まぬけな佐藤じゃなくて……普通の人間である佐藤から見ると、ぼくがあまえているように見えるのである。あんなにきびしい毎日に、たえてたえて、がんばってきた俺を、そういうハンディがまったくない、まぬけな佐藤じゃなくて……佐藤じゃなくて、普通の人間である佐藤が、「あまえている」とみなすのだ。
こんな屈辱はない。
こういう、屈辱と、きちがい兄貴のヘビメタ騒音はセットなんだよ。
これは別に、まぬけな佐藤じゃなくて……常識的な人間である佐藤との間にだけ発生したことじゃない。そうじゃなくて、鳴らされ始めた小学六年生のときからずっと、普通の人間との間にあったことだ。普通の人間は、きちがいと暮らしていないから、きちがいのしくみがわからない。わからない。全部、考え違いをしてしまう。きちがいにやられたほうを、「あまえている」と言ってせめることになる。
ともかく、がんばった結果、通勤できなくなったのに、がんばれば、通勤できると思っているきちがいに遭遇してしまう。
そりゃ、外に出れば、かならず、そういうまぬけな人間……じゃなくて、普通の人に遭遇してしまうのである。そいつに、どれだけ、ヘビメタ騒音のことを言っても、むだだ。そいつは、そいつの経験のなかでしか判断しない。
だから、ばかなのだけど、ばかにばかにされるという状態になってしまう。これが、屈辱でなくて、なんだ??
++++++
毎日、何年間も、きびしすぎる状態のなかで、がんばってきたから、毎朝同じ時間に起きることができなくなったのに、がんばれば「毎日同じ時間に起きることができる」と思っているのだ。そういうことを、きちがい兄貴のヘビメタ騒音を経験しなかったやつが、普通に言ってくる。
そういう状態が成り立ってしまう。
けど、これは、ぼくにとっては、屈辱だ……という話だ。
+++++++
ヘビメタ騒音なしで生きたかった。ヘビメタ騒音なしで生きたかった。普通の生活をしたかった。ヘビメタ騒音なしで、生きたかった。