まあ、基本、この世界は、つらかったなぁ。ほんとうにつらかった。ひとことで言えば「つらかった」。どんだけのことが起こったか。どれだけくるしかった。きちがい親父の行為に、きちがい兄貴のヘビメタ騒音……。
そこから生まれる、ごたごた。
生まれの格差だけでも、たいへんな差なのに、時間の経過とともに、その差が、どんどんどんどん、ひろがっていく。これ、みんなわかってないのかな?
生まれの格差『低』だと、ほんとうに、時間の経過ともに、いろいろな不愉快なことが発生してしまうのである。
時間の経過ともに、いろいろないやなことがつみかさなってしまうのである。
しかも、ひとつの「いやなこと」の大きさも、どんどん、おおきくなる。時間がたったときのほうが、でかい「いやなこと」が起こるようになる。
これが、必然なのである。
気がつかないのかな?
生まれの格差『高』の人は、気がつかないみたいなんだよな。まあ、人間として生きている以上、いろいろな「おもしくないこと」があるとは思うけど……。ぜんぜんちがうんだよな。あの人らが言っている「おもしろくないこと」とはぜんぜんちがう。何度も言うけど、「元気だ元気だ」と言えば元気になる……わけじゃない。
何度も言うけど、「だいじょうぶだだいじょうぶだ」と言っても、だいじょうぶじゃない状態が続く。これ、普通の人は、どうも、信じているみたいだけど、前提がある。条件と言ってもいいか。そういうことが成り立つ場合と、成り立たない場合があるのである。
それは、条件によってちがってくる。生まれの格差『低』で、時間の経過とともにいろいろな不愉快なことがつみかさなっている人の場合、そういうことは、成り立たない。
「だいじょうぶだだいじょうぶだ」とどれだけ言っても、だいじょうぶな状態にならないのである。「元気だ元気だ」と言っても、元気な状態にならないのである。条件があるんだよ。なんでこれがわからないのか?
きちがいが家族で、きちがい家族にやられてきたと人というのは、ほんとうに、ものすごいハンディがある。
けど、このハンディは完全に無視される。
逆に、「そんなのは、おまえが悪い」「そんなのは、そんなふうに考えるからだめなのだ」と言われる。これが、悪魔が支配している世の中の、普通の状態だ。そういうこと「いがいに」なりえないのである。
まあ、特殊な人はいる。特殊な人と出会えば、救われるかもしれない。否定はしない。
けど、たとえば、特殊な人と出会えると思えば、絶対に特殊な人と出会えるというわけでもないのだ。あるいは、理想の人と出会えると強く思えば、理想の人と出会えるというわけでもない。
これも、むかし書いたけど、「イメージ力」の差にされてしまうのである。強い力でイメージすれば、その通りになるけど、弱い力でイメージするとその通りにならない……というようなことが、まことしやかに言われる。
これも、悪魔側が支配するこの世界では、つまらない「いじめ」のような話になってしまうのである。
イメージ力が強い人はしあわせになれるけど、イメージ力が弱い人は、しあわせになれない。……それであたりまえだ。……それでこそ、当然だ。……これは、絶対に正しいことだ。……こういう言い方になってくる。
イメージ力は、引き寄せる力とかそういう言葉に置き換えることができる。引き寄せる力がないからダメなのだということになってしまうのである。そういう、「スキット」を演じることになる。
どうしてかというと、悪魔側が支配している世の中だからだ。
そして、生まれの格差という特別な格差を、埋めることができないからだ。
埋めようとすると、悪魔側にとって都合がいい心理的な力が働いてしまうのである。この世は、悪魔が支配している世の中だから。