ヘビメタ騒音と人生に関して、いろいろと思うところがある。これは、ほかの人には一切合切関係がないことだ。特殊すぎる。いくら、毒家族にたたられた人だって、こういうかたちでたたられた人は、いないんじゃないかな。
まあ、六か月間たたられた人は知っているけど、一四年間は長すぎる。一四年間じゃなくても、中学と高校の六年間、ずっと毎日やられたということが、おおきすぎる。ほんとうに、通えないからだになった。仕事ができないからだになった。就職できないからだになった。
けど、一四年間やられたことがない人は、それがわからない。毒リンゴみたいなものだよ。毎日、ちょっとずつ積み重なる、神経毒。くるしいと言ったって、「あまえている」というようなこたえがかえってくるだけだ。みんなくるしいけどがんばっている……とね。
けど、そのみんなは、きちがいヘビメタ騒音に毎日一〇年以上やられた人じゃないのである。中学と高校と、きちがい的な兄が、めちゃくちゃな意地で、何時間も何時間も、ヘビメタを鳴らしていたわけじゃない。いっしょに住んでいる、兄が、毎日、ほんとうにでかい音で鳴らし続けた……という経験を持っている人じゃないのである。人生のなかで、そういうイベントが発生しなかった人たちなのである。
だから、発生しなかったから、言えることだ。自分の身におこらなかったから、それがどういうものなのか、まったくわからない人たちなのだ。そういう人たちが、あたかも、自分も経験したけどがんばっているという前提で、ものを言ってくる。
「みんなくるしいけどがんばっている」というのはそういうことだ。
きちがいヘビメタを毎日経験してないだろ。
ぜんぜんちがう。
けど、「ぜんぜんちがう」と言うと、「騒音ぐらい俺だってあった」と、ぜんぜんちがう騒音体験について語りだすのだ。ぜんぜんちがうと言っているだろ。
やられてないわけだから、必然性がわからない。どうやっても理解できない。必然性を理解しているのは、ぼくだけだ。からだで理解しているのはぼくだけだ。そうなると、すべてのきれいごとがぼくに対立するようになってしまうのである。
きちがい兄貴の感じ方とか、きちがい兄貴の認知のしかたとか、そういうものが、ほかの人にはわからない。俺がどれだけ説明したって、実際にそういう生活をした人じゃないとわからない。自分の人生のなかで、家族に、そういう人がいた人じゃないとわからない。家族に、感じ方や認知のしかたが尋常じゃない人がいた人しかわからない。
きちがい兄貴みたいな性格をした人なんて、人生なので、親父しか知らない。親父と、きちがい兄貴だけが、尋常じゃないのである。尋常じゃない認知システムと、尋常じゃない感じ方と、尋常じゃない記憶システムを持っている。すべてが、自分の欲望に都合がいいように、書き換えられてしまう。全部、全自動だ。全部、二四時間中、二四時間そういうシステムが成り立っている。
どれだけ、腹が立つか……。こういう認知システム。こういう認知システムに支えられた態度。……ほかの人はわかってないから、簡単に言う。たいしたことじゃないと思って簡単に言う。
実際に、ヘビメタ騒音の一日を経験したことがないから、それがどういうふうに、からだにこたえるのか、わかってない。
それがどういうふうに睡眠に影響を与えるのかわかってない。ぜーぜんわかってない。わかってないから、言えることがある。
ぼく以外の人がみんなわかってない人なのだから、ぼく以外の人は、みんな、ヘビメタ騒音に関して、的外れなことを言ってくるということになってしまうのである。ぼく以外の人は、みんな、ヘビメタ騒音の影響に関して、的外れなことを言ってくるということになってしまうのである。
ヘビメタ騒音の影響で普通に通勤して働ける状態ではなくなった……と言っているだろ。これ、ほんとうの話なのに、こいつらが、信じない。「そんなことはない」という前提で、ものを言ってくる。くそ労働観を言ってくる。
しかも、そういうことが、「わるいこと」だとは終わってないのである。ふつーーの人が、ふつうにーーそういう、悪事を働く。悪事をはたらいたのに、悪いと思ってない。……そういう状況ができあがる。
もちろん、きちがい兄貴は、そういう状況をつくってやろうと思って、ヘビメタを鳴らしたわけじゃないのである。ヘビメタを鳴らすことしか考えてないからヘビメタを鳴らしたのである。自分が思ったとおりの音のでかさで、鳴らすことしか考えなかったから、普通の音で鳴らさなかったのである。
ぼくと、ぼく以外の人との間に、うまれる、あれやこれやの、いざこざとは、まったく関係がないところにいるのである。きちがい兄貴が原因なのに……。そして、こういうことを言うと、また、「自己責任」「人のせいにするな」というきちがい的な言葉が、ごく普通の人からかえってくる……という状況になってしまう。
話はとぶけど、これ、きちがい親父にやられた時とおなじなんだよ。ふつーの人は、きちがい親父のしくみがわからない。「そんなことは、するはずがない」と思っている。「そんなことは、するはずがない」という前提に立って、物事を言ってくる。俺が、誤解される。もう、決まっている。