ワクチンを打たない自由もあるけど、ワクチンを打つ自由もあると思う……この考え方は、普通の状態であれば、肯定しうるのだけど、いまの状態だと肯定できない。どうしてかというと、ワクチンを打つ自由を認めてしまうと、ワクチンを打たない自由がなくなるからだ。
いまは、憲法によって守られている。人間……国民の自由が守られている。しかし、憲法が改悪されれば、たちまちにして、ワクチンを打たない自由はなくなる。さらに、有効期限も自由に、為政者が決められるようになる。なので、ワクチンを一回しか打たない自由もなくなってしまう。いま、ここでやられたら、おしまいなのだ。人権がなくなると思っていい。
二回ワクチンを打った人は、自分が、店に入れなくなることはないと思っている……と思う。しかし、有効期限が6か月なら、6か月後にはまた、ワクチンを打たなければならなくなる。有効期限がすぎたら、「未接種者」と同じ扱いになってしまうのだ。なので、未接種者の問題は、ワクチンを二回打った人にも、成り立つ。
あのワクチンは、ロクでもないワクチンだけど、とくに悪意がないワクチンでも、おなじワクチンを何回も打っていると、死ぬ。もともとは、新型コロナウィルスに対応するためのワクチンだったはずだ。そして、一回目を打ったときは、一回打てば、ずっと新型コロナウィルスから、自分たちを防御してくれるという話だった。
けど、それはすぐにくずれる。
防御力がなくなったけど、重症化はおさえられるという理屈で、二回、打たなければならなくなった。そして、ワクチンパスポートが導入されれば、三回目を打たなければならなくなる。
過去において二回打った人も、ワクチンパスポートが導入されれば、三回目を打たなければならなくなるのだ。そういうことになっている。定期的に打たなければならなくなった段階で、ワクチンパスポートがない状態にもどれるかというともどれない。一方通行だ。
ファイザーのCEOもCDCのトップも、ワクチンを打ってない。政治家も、ワクチンを打ってない。厚労省の役人もワクチンを打ってない。自分たちだけは、打たないですむ法律まで作って、打たないようにしている。
彼らは、支配者側の人たちなのだ。支配者側の人たちは、どんなことがあっても、本物のワクチンは打たない。国民が、接種会場で打たれてしまうような「本物のワクチン」を打つことはない。なんでなら、本物のワクチンのおそろしさを知っているからだ。なかになにがはいっているか知っている人たちだからだ。
ワクチンのなかには、生物的な毒と化学的な毒がはいっている。そして、〇〇〇とよばれているへんな生命体も入っている。支配者側の人は、ワクチンになにがはいっているか知っているので、絶対に国民向けに作ったワクチンは、打たない。
非支配者側の人に打っているようなワクチンを、自分に打ってしまうことは、絶対にないのだ。この態度だけでも、ほんとうは、「おかしい」と思わなければならないところだ。けど、よく調べない人は、新型コロナに対するバリアーかなんかのつもりで、ワクチンを打ってしまう。
俺も最初は「打つのは自由だ」と思っていた。けど、「打つのは自由じゃない」。
だれかが打ってしまうと、ほかのだれかも打たなければならない状態になってしまうのだ。ぼくも含めて、非支配者側の人は、打ってはいけない。ひとりでも、打ってはいけない。けど、8割の人が打ってしまった状態だ。これは、かなり、やばい。
ワクチンパスポートもおなじで、だれかが、ワクチンパスポートを使うと、「みんなが」ワクチンパスポートを使わなければならない状態になる。だれかがワクチンパスポートを使うと、みんながワクチンパスポートの呪縛から、のがれることができなくなる。こういうしくみが成り立っている。だから、「ワクチンを打つのも自由だし、ワクチンを打たないのも自由だ」とは言えない。
結論としては、ワクチンパスポートを要求してくるような店に行くのはやめようということになる。みんなが行かなければ、店はなりたたない。客に、ワクチンパスポートを要求するのは、やめようということになる。まだ、全部の店がワクチンパスポートを要求してくるわけではない。なので、ワクチンパスポートを要求しない店を、ひいきして、使うようにすれば、ワクチンパスポート戦争に、非・支配者層が勝てるのだ。
なので、強く強く、ぼくは、ほかの人たちにおねがいをする。これは、おねがいだ。
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ワクチンになにがはいっているか、公式のデマではなくて、真実が伝えられれば、ぼく言っていることに同意してくれると思う。公式のデマを信じている人たちから見ると、真実の情報がデマに見えるのだ。これは、テレビによる洗脳の結果だ。そして、テレビだけではなくて、ネットでも同じことが成り立っている。
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