ほんとう、このさき、どうするかな?
大きな変化がおとずれるのは、だれにでもわかるよ。そのうち、だれにでもわかるようになる。
けど、俺はどうするかな?
ほんとうに、この世で、いろいろなことがあったなぁ。ありすぎだよ。濃すぎ。ほんとう、ほんとう、濃すぎ。のーしゅく、されている。こんなの、ほんとうに、こすぎるよ。俺はもっと、楽な~~、しあわせな~人生のほうがよかったんだ。どれだけ、ひとにはまったくわからない、複雑な、深い、不快、問題が発生するか? 親父と兄貴が異常だと、どんだけ、いろいろな不愉快な出来事が発生するか。親父と関係があることでも、親父との関係だけにその問題が発生するわけじゃないのである。これ、きちがい的な人といっしょにすんだことがない人はわからないかもしれないけど、ほんとうに普通の人がわからない問題が、連鎖的に発生する。この連鎖は、断ち切ることができない。もともと、含んでいるから……断ち切ることができない。かならず、しょうじるんだよな。いっしょに住んでいると、その人との間に発生した問題が、ほかの人との関係に、いやおうなく、影響を与える。その人というのは、問題の、その人という意味だ。ようするに、俺の場合だと、親父と兄貴だ。ほかの人というのは、自分を取り巻く、ほかの人、という意味だ。どういうことかと言うと、たとえば、親父との間に生じた問題が、友達との関係に、どーしても、どーしても、影響を与える。これ、さけることができないのだ。さけるとなると、作用と反作用が、意識的な部分と無意識的な部分でしょうじて、乱反射してしまう。この、乱反射が「問題」を引き起こすので、問題を発生しないようにするということがむりなのだ。意識的に、友達とあいだで、問題を引き起こさないようにするということができない。実際には、できない。ようするに、親父にやられたこと……親父との間にしょうじたことは、どれだけ影響を与えないようにしようと思っても、ぼくと友達との間の、出来事に影響を与える。おなじことが、兄貴のヘビメタ騒音でもしょうじる。兄貴がやったとなんだけど、それが、ぼくの友達とぼくの関係に影響を与える。これは、気にしないようにすることもできないし、気にして、意識的に対処することもできない。気にしないようにしてすごしても、影響が発生してしまうし、意識的に対処することにしても影響が発生してしまう。必然的にそうなる。けど、この「必然性」というのが、これまた、ほかの人には「みえない」のだ。じゃあ、ほかの人には「みえない」から、影響を与えないのかというと、影響を与えている。すでに与えている。