どうしても、ヘビメタ騒音でくるしい。どーーしても、くるしい。くるしいと言ったら、くるしい。どーーしても、くるしい。あの態度!! あの切羽詰まった生活!!
他人の発言!!! 全部、頭にくる。きちがい兄貴の態度と言ったら、ない。ほんとうに、きちがい。まったくわかってない。自分がでかい音で鳴らしたい気持ちになったら、どんなでかい音で鳴らしてたって、たいした音じゃないのである。
ほんとうに、ぼくの場合、すぐ目の前に幼稚園があって、けっこううるさい。ヘビメタ騒音がはじまるまえは、そういう状態でも平気だった。ヘビメタ騒音の数千日というのが、ほかの人にはわからない。俺がどれだけ説明したって、ほかの人には、いたくもかゆくもないことなので、ほんとうのところが、わからない。
どれだけ、足をひっぱられるか、わからない。
どれだけ、影響をうけないようにしても、やられれば、影響を受けてしまうということがわからない。
「『だいじょうぶだ、だいじょうぶだ』と言えば、だいじょうぶだ」というような助言を受ける場合がある。この助言が、どれだけ、相手の状態を無視した助言か、言っているほうは、わからない。
これは、きちがい兄貴のわからなさとは、ちがう。普通の人間だから、自分の体験の範囲にないことはわからないというタイプのわからなさだ。きちがい兄貴の場合は、そういうのとは、また、ちがうのである。
それから、「自分の感情しかない」とぼくが、兄貴の状態について記述しても、ほかの人はわからない。これまた、そういう家族と一緒に生活したことがなければ、まったくわからないことなのだ。
どうしたって、普通のレベルで……その人の経験した範囲で「自分の感情しかない」人を思い浮かべてしまう。けど、これも、まったくちがった経験をしていると言っていい。おなじように「自分の感情しかない人」のことを言っているようでいて、ちがうんだよ。
「自分の感情しかない」という「状態」でもおなじだ。普通の人間の範囲じゃない。けっきょく、親友だって、おなじ経験をしなければ、ぼくの経験したことを無視して、助言をすることになる。「わかっている」「知っている」と言ったって、経験してなければわからない。
どういう、毎日なのか、わからない。なおさら、普通の人なんて、「ヘビメタ騒音が鳴っていた」「ヘビメタ騒音の連続で、できなくなった」と言っても、「できなくなった」ということを認めないで、ものごとを、言ってくる。そういうポジションにおちいってしまう。
きちがい兄貴が、きちがい親父とおなじような状態で、きちがい的な意地で、きちがい的でかいヘビメタ騒音を鳴らすと、必然的に、そう、なってしまう。
そういう状態になってしまう。
やられてないやつに、わかったようなことを言われる状態になってしまう。
もし、きちがい兄貴が毎日、きちがい的な意地で鳴らさなかったら、俺だって普通にできることだ。そんなに問題にならないことなのである。体力不足だって、睡眠問題だって、ヘビメタ騒音の数千日がなかったら、発生してない状態なんだよ。
普通に通勤できるし、普通に働ける状態なんだよ。毎日が、くるしくてくるしてしかたがなというような状態じゃないんだよ。どうしても、つかれて、作業を続けることができないというような状態じゃないんだよ。
ものすごく、つかれやすい状態で暮らしていて、ちょっとでも無理をすると、すぐに、寝込んでしまうような状態じゃないんだよ。それを……こいつらは……。こいつらは……。
数千日にわたって、きちがいヘビメタがでかい音で鳴ってなかったら、そんなことを言われなくてもすんだ。ヘビメタ騒音が数千日にわたって鳴ってなかった人生だから、働けているだけなのに、えらそうに!!
自分が四〇年間働いてつかれたら、「つかれたから」仕事をやめるのか? どれだけつかれたって、仕事をするべきだ。人間は働くべきだ。ふざけんな。おまえが、四〇年間働いてつかれたぶんよりも、一四年間、毎日ヘビメタがつづいて、つかれたぶんのほうが、でかいんだよ。
会社員の四〇年間より、きちがいヘビメタの一四年間のほうが、つかれるんだよ。破滅的な影響があるんだよ。からだに破滅的な影響があるんだよ。ふざけんな!!!!
自分がつかれたら、仕事をやめるのか?
なら、なんで、俺がつかれたという理由で、仕事をしないということを認めないんだ?
ヘビメタ騒音でつかれたと言っているだろ!!!
きちがい家族と一緒にすんだことがないやつが、がたがた、言うな!!!
これ、ほんとうに、すべてのことで、「こっち」がもんくを言われる。きちがい家族と一緒にすんだことがない人に、「わかったようなこと」を言われる。そういうポジションにおちいる。