奴隷の管理方法について意見を述べていた人がいるだろ。がんばった奴隷には褒美を与える。がんばらなかった奴隷にはほんのすこしのご飯しかあげない。こうすれば、奴隷が働きだして管理できる……と言っていた人がいるだろ。
考えてもみろ。凹した人だけ、旅行に行ける権利があるというのは、そういう褒美のひとつなんだよ。 凹することで旅行ができるようになったということは、凹せずに旅行ができる状態より、はるかに後退しているんだよ。行動制限がかかっているんだよ。自由じゃないんだよ。権利をはく奪されているんだよ。
いま、凹して旅行に行くということは、将来の自分と他人の「旅行する権利」をはく奪するような行動なんだよ。将来の権利を制限することに「積極的に賛成」していることになるんだよ。
そして、どこかで、毒リンゴを食べてしまう。たとえば、三個の無毒なリンゴと、六個の弱い毒のリンゴと、一個の強い毒のリンゴがあるとして、一個の強い毒リンゴを食べて死んでしまった人は不運だ。けど、その不運は、繰り返してやっていればかならず、くる。
弱い毒リンゴは、潜伏期を経て、効果をあらわす……とする。だとしたら、一回目に弱い毒リンゴを食べてしまったということは、重要なことだ。不幸なことだ。一回しかリンゴを食べず、また、その食べたリンゴが無毒なリンゴであった人だけ、いちおうは、危機をまのがれる。しかし、悪い人が、いろいろな食べ物に、弱い毒をいれてきたらどうなる? そのうち、死ぬ。もちろん、人間は、そのうち、死ぬ。けど、弱い毒が入った食べ物を食べた人間より、無毒な食べ物を食べた人間のほうが、長生きする確率は、高い。