どうせあと3年のいのちと、きめて、生きる……。まあ、別に3年後に自殺するわけじゃないけど、世界情勢からすると、そうなるのかなと思う。なので、覚悟を決めなければならないのだけど、それが、つらい。いま、これを書いているときですら、ヘビメタ騒音が鳴っている感じがするのだ。この日差しはヘビメタ騒音の日差しなのだ。もう、この世の感覚とヘビメタ騒音の感覚がくっついている。それほど、きつかった。それほど、ずっと、鳴っていた。くりかえし、くりかえし鳴っていた。今日は、日曜日で、いまは午後1時9分だ。日曜日の午後1時9分は、ずっとヘビメタが鳴っていたのだ。
勉強したかったとき、勉強ができなかった。ヘビメタ騒音でできなかった……。これが重要なのだ。これが、ぼくの人生にどれだけの影響を与えるか? 「どこで、研究なされているのですか」「研究者ですか」と訊かれて、「高卒です。どこにも所属してません」と言わなければならないときの気分はない。ともかく、そういうことをのぞいたとしても、ヘビメタ騒音が鳴っていた状態というのが、くるしすぎる。そして、ほかの人にはこの状態がわからない。逆立ちしたって、わからない。ぼくが書いた文章を1000回・読んだってわからない。実際の時間の長さというのがあるから……。鳴っていた時間の長さがある。ぼくにはあるけど、ぼくの文章を読んだ人にはない。だから、そういう人は、ヘビメタ騒音の影響を無視して、ぼくに、いろいろなことを言ってくる。悪意がない場合も、無視しているという時点で、相手ぼくをなめてかかっている。優位に立っていると思っている。自分は、普通に暮らしているので、こいつよりずっと上だと思っている。思っている。自分は、普通に働いているので、こいつよりずっと上の存在だと思っている。思っている。そういう決めつけと、自意識がある。ただ単に、きちがい兄貴にやられなかっただけの話なのに、まるで、存在として自分のほうがすぐれていると感じてしまうのだ。こんなやつらと、つきあえるか? こいつらは、エイリさんがコミュ障だから、お兄さんにやめてと言えなかったんだと、俺を下に見て、決めつけてしまう。こんなやつらと、つきあえるわけがないだろ。どうやってつきあうんだよ。そういう問題になってしまう。きちがいがきちがいの意地をとおして、きちがいヘビメタを、断固鳴らし続けると、やられた俺がそういう地位に落ちてしまう。
あー、日曜日の午後1時17分は、きちがいヘビメタの感じしかしない。きちがいヘビメタが鳴っている雰囲気だ。この部屋の光は、ヘビメタ騒音の雰囲気だ。この時間の雰囲気はヘビメタ騒音の雰囲気だ。1時9分から1時17分までの8分間。ずっと、がんがん鳴っている状態だ。この8分間で、何千回何万回と、頭のなかの、脳みそをぶたれてしまうのだ。がんがんぶたれる。くるしい。8分間ですら、くるしい。くるしすぎる。
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ともかく、この世の感覚が「ヘビメタ騒音付き」になってしまって、くるしい。だれに言ってもわからないと思うけど、くるしい。否定のしようがない。ふりはらうことができない。ぼくがどれだけ、「ふりはらう」努力を、何十年間も毎日やってきたか? ぼくが、どれだけ……。ぼくが、どれだけ……。
ふりはらう努力を何十年間も毎日やってきたぼくが、まったくやられなかったやつに「気にするな」なんて言われる。どれだけの屈辱か。ぼくがどれだけ、気にしないように頑張ってきたか……。けど、けっきょくやられると、気になる。やられ続けているときつかれるし、腹が立つ。そして、終わったあと、崩壊的な疲れがおそってくる。崩壊的な疲れがおそってくるのに、まったく眠れない状態で、夜をすごす。やられなかったやつらが、普通に眠っている時間、ぼくは、眠れないまますごす。これが、どれだけのことか、わかってない。毎日、やられなかったやつはわかってない。毎日、こういうことが続くということが、どれだけのことか、まったくわかってない。わかってないやつしかない。
くそ佐藤、ふざけんなよ!!!
くそ社長、ふざけんなよ!!!
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俺の場合、ヘビメタ騒音があるから、どうやっても、ほかの人のようにはいかない。ほかの人は、旅行をすれば、旅行を楽しむことができる。ほかの人と会話すれば、会話を楽しむことができる。けど、ぼくは、旅行も会話も楽しくない。どうしてかというと、きちがいヘビメタ騒音の雰囲気が頭のなかにあるから。この世が、ヘビメタ騒音の世だから。いつもいつも、楽しめない回路が発動している。スイッチオン。これ、なんていうのかな、意識ではどうにもできない。意識的に、ヘビメタ騒音のことは忘れて楽しもうと思っても、楽しめない。絶望的に楽しめない。