さみしい一生だったなぁ。
こんなの、ない。
自分勝手な家族にやられて、人生がない。
世間のやつらも、それぞれに、自分勝手なやつだったな。まあ、いい人はいた。少ないけど、いい人はいた。それは、事実だ。
けど、ヘビメタ騒音で、そういう人たちともうまくいかなくなる。
これは、きちがい兄貴のヘビメタ騒音を経験した人じゃないとわからないと思うけど、そうなる。必然的にそうなる。どうしても、そうなる。どれだけさけても、そうなる。
おれにとっても、ほかの人にとっても、この三年間は、すごい三年間になるよ。
このあとの三年間ということだけど。
どれだけの人が生き残れるのだろうか。そして、生き残った人が、あんまりしあわせではないようなことになる……かもしれない。これ、ほんとうにひどい時代に生きているなぁ。こんなことになるとは思わなかったなぁ。つくづく思うのは、この世は、地獄だということだ。これ、ほんとうに、悪魔に支配された地獄なのである。この世は、地獄だった。
どーーりで、生きにくいと思った。この世はほんとうに地獄。地獄がどこかにあるんじゃなくて、この現世が地獄だった。この世界が地獄だった。あの世じゃないんだよ、この世にあった。
この世が地獄だった。
やっぱりなぁ。そうじゃないかと思っていたんだ。
なんか、いつもそうなんだよ。この世の人……特に家族二人……地獄の住民なのである。ほんとうに頭がおかしいレベルで、自分の感情しかない。自分にとって都合がいい感情しかない。どれだけ、なにを言っても、まるで通じない。ほんとうに、自分で自分に催眠術をかけてしまったような状態なんだよな。
そういう状態で、きちがい的に自分勝手なことをする。そうすると、本人は「やったつもりがまったくない」状態で生き続けるわけだから、相手になにか、悪いことをしたということに、どうやっても突き当たらないのである。思い当たらないのである。そういう毎日、毎時間、毎分、毎秒、毎ピコ秒なのである。
だから、その人たち……当人にとってはそういう世界なのである。やったってやってない世界なのである。ぜんぜん相手のことがわかってない世界なのである。自分の感情だけが張り出した世界で、どれだけ矛盾したことを言っても、どれだけ矛盾したことをやっても、本人が気がつかない。
だから、本人だけは、なにもやってないつもりで、しあわせ、なのである。「意地をとおして」しあわせなのである。絶対無責任の境地にたっている。そんなの、たとうと努力しなくたって、つねに、絶対無責任の境地にたっているのである。すでにたっている。こんなのない。
絶対無責任。
「やったってやってない」。「そんなのは知らない」……きちがい的な態度でやり続ける。「やったってやってない」……この繰り返しだ。どれだけこまるか。どれだけこまるか。ほかのやつはこんな異常な家族に囲まれて住んでいるわけではないから、普通に暮らせる。俺が言っていることが、根本のところからわからない。そして、影響を否定する。そいつらにしてみれば、「影響なんて受ける必要がない」のである。「影響を受けるかどうかは自分で決められること」なのである。
こんなの、ない。こういうやつらは、自分でなにを言っているのか、わかってない。 ほんとうは知らないから、そういうふうに言える。想像でものを言っているだけなのである。それは、まったく知らない食べ物について、なにかを言っているようなものなのである。まったく知らない毒についてなにかを言っているようなものなのである。その毒を飲んだって、影響を受ける必要がない……と言っているようなものなのである。
人間の体は、影響を受ける。
そういうこと自体を否定してまう。自分にとってなかったことだからだ。自分の想像の、範囲外のことだからだ。正しく想像できないのである。こういう、世の中。こういう、世の中。
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憲法を改正させないように投票したいのだけど、右から左まで、全部、あれだからな。れいわ新選組も、あれである可能性があるし、つばさの党が候補者だしてくれたら、入れるんだけどな。
憲法改正を絶対に阻止しないと、ひどいことになるよ。