あの子としあわせに暮らしたかったなぁ。そういうしあわせも、ヘビメタ騒音がなければ(俺の場合)あったのに……。やったやつがまったくなにも感じてないというのも、親父と兄貴でおなじなんだよ。ほーーんと、どうしてこんなことになってしまうのか。
幼児のころ、おかあさんと買い物に行ったことを思い出して、泣きそうになった。
ほんとうに、だれもわかってくれないけど、すべての時間が、ヘビメタ騒音だった。そして、いまは、すべての時間がヘビメタ騒音後遺症だ。ほんとうに、きちがい兄貴、あんなに意地になって鳴らして、俺の人生かえしてくれ。俺の人生をかえしてくれ。どれだけ言っても、やめてくれくなかったじゃないか。
つらいに決まっているだろ。ほんとうに、きちがい親父とおなじで、「まったくなにもやったつもりがない」んだよね。おっそろしーことに、やっているさいちゅうから、うちの兄貴とおやじは、そう。
じゃあ、言えばやめてくれるかというと、それが絶対ないんだよね。
で、そういうことが、本人の頭の中……自分の頭の中で、つながってない。ぜんぜん別々のことだと認知しているんだよ。あるいは、まったくなにも認知してない。だから、どれだけ言ったってつたわらない。
殺されなければ、ずっとやっている。
なし崩し的に、きちがい兄貴が「勝っている状態」が続く。やったってやってない」と思っている状態が続く。その状態が続いているあいだ、「うち」で鳴らすには、でかすぎる音で鳴らしている。普通の家じゃありえない音で鳴らしている。うちの前がたまたま出でかい幼稚園で、となりの家が当時は、はなれていたから、鳴らせただけ。まあ、となりの人たちの騒音耐性は、幼稚園できたえられているとは思う。けど、俺の部屋はちがう。これ、音のでかさが、距離でどれだけちがうか、みんなわかってない。距離がほんとうに重要なんだよ。この至近距離の、きちがい騒音がどれだけ日常生活に影響を与えるかわかってない。この至近距離の、きちがい騒音が、どれだけ、勉強に影響を与えるかわかってない。この至近距離の、きちがい騒音が、どれだけ、人間関係に影響を与えるかわかってない。11歳までをのぞけは、その後の人間関係というのは、すでに、ヘビメタ騒音の影響を受けた人間関係なんだよ。俺がどれだけはずかしい思いをしてきた。
ほんとうに、どれだけ努力しても、長期騒音でだめなんだよな。ものすごいハンディ。ものすごい障害。ほかのひとにはわからない。わからないから、長期騒音のハンディがゼロに見える。それなら、常識に基づいて、いろいろな、好き勝手なことを言える。好き勝手なことを言っているというつもりもないだろう。はっきり言えば、きちがいにやられて、一般の人にばかにされるような立場に陥ってしまったのである。一般の人は、やられてないから、理解しない。自分の体で経験しなければわからないことというのがある。長期騒音生活は、それだ。まさしく、それ。盲点だけど、本当にすごい障害なんだよな。ほかの人が絶対にわからない障害。経験したことがない人が絶対にわからない障害。それが長期騒音障害だ。みんな、わかってないよ。どれだけのマイナスになるかわかってない。ライフハックみたいな助言でそのマイナスが、くつがえるわけがないでしょ。あった人に、ライフハックみたいな助言をされてしまう立場というのが、そもそも、ヘビメタ騒音障害から、しょうじたことなのである。こんなのはない。言いきれない。言いきれずに、死ぬわけか。どれだけ言っても、だれにも理解されない。繰り返しになるけど、自分の体で経験してない人には、わからない。騒音なんて鳴り終われば、終わりだろと思ってしまう。鳴り終わったままずっと障害になって残るとは思わない。一日だけならそうじゃないよ。けど、何年間も毎日やられると障害になる。これが、何年間も毎日、現実世界で、現実にやられなかった人には、さかだちしても、わからない。そして、わからないほうが、いいのである。わからないほうが、すぐれているのである。経験がなければ、高い地位に行ける。これは、どういうことかというと、たとえば、ぼくと、長期騒音やられなかった場合のぼくが、おなじ才能を持っていたとしても、社会的な地位がぜんぜんちがうということになる。一般の人は、言っていることよりも、言っている人の社会的な地位を参照して、言っていることが正しいかどうか決めてしまうところがある。座頭(仮名)とか、あるいは、「どこで研究をしてらっしゃるのですか」と訊いてきた人だって……。
ぼくの履歴がヘビメタ騒音付きの履歴なのである。きちがい兄貴は、中学のときも、どれだけ言っても、俺に影響を与えているということを認めない。ヘビメタ騒音のなかで、勉強ができないとずっと言っているのに、きちがいおやじとおなじ、きちがい的な虫のしかたで無視して、認めない。これ、「ないことになっている」んだよな。あたかも、自分が1分だって鳴らしてないような感覚で、怒っている。へそをまげている。きちがい的こだわって1分だって認めないで鳴らしているのに。でかい音で思いっきり鳴らすことにこだわっているから、思いっきり鳴らすということだって、一秒だって、1分だって、ゆずりたくないのだ。で、そういう気持ちがあって、そういう行動をしているのに、あたかも、そういう気持ちがなくて、そういう行動をしてないと思っているような態度なのだ。この態度!!
こんなの、普通の人はわからない。ぼくがどれだけ、普通人である座頭(仮名)に説明したって、座頭(仮名)はわからない。座頭(仮名)は普通人の感覚で、みとめない。「そんなひと、いるのかな?」なんて思っている。座頭(仮名)の前にいるのが、職歴がなく、仕事をしてない俺であれば、砂糖は、そういう視線で、俺を見てくる。そういうことだって、ヘビメタ騒音が過去において15年間も鳴ってなければなかったことなんだぞ。あるいは、学生時代だけに限って7年間鳴ってなければなかったことなんだぞ。むだなあらそいが、生じるんだよ。ヘビメタ騒音で!! 兄貴がいないところで!!