この、「言えば、それが現実になる」というのも、「Xをすれば、Yになる」というタイプの助言だ。「元気になると言えば元気になる」「楽しいと言えば、楽しくなる」「つまらないと言えば、つまらなくなる」「好きだと言えば、好きになる」「つらいと言えば、つらくなる」という言葉も、「Xをすれば、Yになる」というタイプの言葉だ。なんとなく、法則性がありそうな言葉なのだけど、じつは、法則性はない。「言ったところで、現実はかわらない」ということのほうが、法則性がありそうなのである。まあ、これに関しては、あとであつかうことにしようかな~。まあ、いいや。
ともかく、「Xをすれば、Yになる」というあたかも物理法則のような言葉なのに、例外が多すぎるのである。例外が多いというよりも、めったに成り立たないことまで、「Xをすれば、Yになる」というタイプの言い方をする場合が、多すぎる。ある条件が成り立っている場合、「Xをすれば、Yになる」というように、条件をプラスしたほうがいい。そうすれば、「Xをしても、Yにならない」場合の話が楽になる。これはまあ、一時的に楽になっただけで、本当に、「Zという条件が成り立つとき、Xをすれば、Yになる」という言葉が正しいのかどうかはわからない。けど、条件をプラスすることで「傲慢さ」がある程度はなくなる。これ、「Xをすれば、Yになる」という言葉をなんの条件も付けないまま、言う場合は、相当に問題がある。どういうふうに問題があるかということについては、すでに述べてきた。たとえば「元気になると言えば元気になる」ということが成り立たない場合について、ずっと語ってきた。「Xをすれば、Yになる」ということを言った場合、無条件にそうなるということなのである。「Xをすれば、Yになる」ということは、100%成り立つことなのである。例外なく、成り立つことなのである。「Xをしたのに、Yにならないことはない」のである。そういう意味で、使っている。「Xをしたのに、Yにならない」ということが、たびたび、発生したのでは、「Xをすれば、Yになる」ということを言うことの意味がないのである。あるいは、「Xをしても、Yにならない」ということが、99%の確率で生じるなら、むしろ、「
「Xをすれば、Yになる」と言うから、試行したみたけど、99%の確率で「Xをしても、Yにならない」ということが判明したら、どうだ? むしろ、「Xをしても、Yにならない」確率が高いと言うべきなのではないかという問題が発生してしまう。もちろん、確率が100%でなければ「Xをしても、Yにならない」とは言えない。これは、すべてにおいて、どんな条件下でもそうなるということを、意味している。なので、1%でも、そうならないことがある場合は、どういう条件のときその1%が成り立つのかについて、考えるべきだ。言い方は、条件付きになる。ようするに、「Zという条件が成り立つとき、Xをすれば、Yになる」という言い方になる。