やっぱり、顔を刺されたのがでかいな。今日はさみしい夢を見た。俺は、自転車に乗っていた。で、信号で待たされたので、ちょっと折れて、別の道で家に帰ることにした。その別の道というのは、子供のころ、よく自転車で走っていた道で、俺にとって懐かしい道だ。で、家に帰るとおかあさんがまっていると思って、走ったのだけど、……帰ってみると、だれもいないこのうちだったという夢だ。そりゃ、起きたら、家族がだれもいないうちなんだからな。家族のうち、親父と兄貴は、俺の人生を破壊した張本人なので、家にいてほしくないのだけど、おかあさんはちがうんだよ。
これ、俺じゃない人にはわからないと思うけど、親父のきちがい構造や兄貴のきちがい構造が、俺をほかの人から、孤立させるのである。ごく自然にきちがい構造に従った行為をするのだけど……それも、頑固に何年間も、何十年間も毎日毎日、きちがいしかやらないようなことをするのだけど、きちがいしかやらないようなことを、ごく自然にする……ということが、ほかの人にはわからないんだよな。ほかの人にとっては「そんなのは、言えば理解してくれるでしょ」「言えばいいでしょ」というような話なのだ。ところが、態度と認知と行動がそうじゃないのだ。これが、どれだけこたえるか?
俺を追い込むようにできているのだ。
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あと、鼻の内側をダニにされたのはショックだ。鼻の頭をダニに刺されたのはショックだ。これだって、親父が、普通の人が信じられないような行為にこだわって、やった結果だ。まず、親父は、俺がたのんでないのに、俺が料理をしていたとき、料理をするときに出たごみを、毎日、いちいち、物置に置いたごみ袋にうつすと言って聞かなくなった。俺が何十回も、そんなことをやらなくてもいいと言ったのに、けっきょく、自分(親父)が思いついたことは、やってしまうのだ。親父は……。そういうかわったことを、きちがい親父が言い出すと、かならず、いやなことが起こるので、俺は反対した。
けど、そのときは、物置に置いたごみ袋を目指して、ネズミが集まってくるということは、わかっていなかった。未来予知ができなかった。「なにか、おかしい」「なにか、いやなことが起こる」という予感はあったのだけど、理由を聞かれると、「なにか、いやなことが起こるような気がする」としかこたえられなかった。
明確な理由をこちら側が説明しても、けっきょく、きちがい親父は、自分(親父)が思いついたことはやってしまう。修正がきかない。この修正がきかないというのは、兄貴の場合もおなじで、「うるさいからやめてくれ」と言っても、兄貴の行動を修正することができない。
普通なら、「ああ、そうか」で、すむことが、何十年間も毎日、「ああ、そうか」で、すまないことになる。
絶対の意地でやってしまって、責任をとらない。関与すら認めない状態でやり続ける。きちがいが、きちがい的な意地でやっているのに、本人は、特にやっているつもりがないのと同じ認識になってしまう。
意地になってやっているのに、意地になってやっているつもりがない状態が続く。これが、ぼくが、親父や兄貴のことを、きちがいと言っている理由だけど、ほんとうにこまるんだよ。兄貴はともかく、親父のことをきちがいだと言えば、「親をきちがいと言うなんて、けしからん(おまえがきちがい)」と言うやつが必ず出てくる。
けど、そういうことを言う人は、どれだけこまるかわかってない。どれだけ、こまるかわかってない。ほんとうに、人の人生ぜんぶを破壊するちからがある。「のうのくせ」でそうしているのだから、毎日ずっと、自然にそういう状態が続いてしまう。
きちがい親父が、いつもいつも、毎日毎日、毎時間毎時間、毎分毎分、毎秒毎秒、きちがい的な理由で怒っている家なんて……。きちがい的な理由で怒っているにもかかわらず、そういう自覚がないんだぞ。『きちがい的な理由で怒るのはやめてくれ』と言ったら、「口答えをした。おんだされた。おんだされた。お相撲さんの世界では、親方が白と言ったら、黒でも白なんだ」とか言ってぶんなぐってくる。
時間がたったあと、親父がそういうことをしたと言えば「そんなんじゃな!!そんなんじゃない!!」と逆上してしまう。きちがい的な理由で怒るときの態度と、自分がやったことを否定して怒るときの態度がおなじなんだよ。おなじ態度、おなじ形相で、怒り狂う。きちがい的な頑固さを発揮して、ゆずらない。相手が言っていることを認めない。
ほんとうに、わかってないな。きちがい親父も、「親をきちがいと言うなんて、けしからん(おまえがきちがい)」と言うやつも、まるでわかってない。
きちがい兄貴なんて、きちがい親父の騒音バージョンだ。きちがい親父が、音を出すことにこだわったらああいうことになってしまうんだろうなという感じだ。きちがい親父は、おとをだすことにはこだわらなかった。そういう趣味が「たまたま」なかった。けど、きちがい兄貴は、ヘビメタをともかく、でかい音でがんがん鳴らしたいという欲求・欲望を持ってしまった。そうたら、『きちがい親父の騒音バージョン』のできあがりだ。きちがい兄貴の態度は、きちがい親父がヘビメタに興味を持ってしまったときの態度と、おなじだと思う。きちがい親父が、この世で、ヘビメタに興味を持つということがなかったから、親父がああいう態度で、ヘビメタを鳴らすということがなかっただけだ。
「そんなにでかい音で(お兄さんが)鳴らしているのに、親が注意をしないなんておかしい」とか、これまた、普通の家で育った普通の人が言うんだよ。わかってないのは、普通の家で育った普通の家の人なんだよ。ほんとうに、もう、涙が出てくる。くやし涙が出てくる。