どうしようかな。ほんとうに、ネズミやきちがい兄貴の騒音についてはいろいろと言いたいことがある。「俺の人生はなんなんだ」と思う。ほかの人にはまったくないハンディで、人生がない。ほかの人は、実際にきちがい兄貴の騒音を「あびてない」ので、わからない。わからないんだ。実際に、あの騒音が何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴っている生活というのを経験したことがない。経験したことがないと、軽く考えることになる。影響を軽く考えてしまう。「そんなんじゃない」と言いたくなる。何千日も毎日積もったら、言いようがないことになる。そりゃ、ハンディがかたちになってあらわれるからだ。ハンディが履歴になってあらわれるからだ。ハンディが体調になってあらわれるからだ。ほかの人は、これを経験してないから、「鳴り終わったら関係がない」など言ったりする。これがどれだけ、ばかげた発言か、言っている本人には、まったくわからない。そんなことであるはずがないだろ。
本当に、座頭(仮名)とかユキオ(仮名)とかまったくわかってないな。想像力の欠如。自分の身にそういうことが生じたら、どういうことになるか、まったくわからないというのはおかしい。どれだけ、下に見積れば気が済むんだよ。こいつらは、俺を完全に下に見積っている。そして、どうして、完全に下に見積るかというと、履歴がめちゃくちゃだからだ。当時、働いていなかったからだ。そういう、偏見。そして、そういう偏見が当たり前の社会。そういう偏見を持っているやつが、常識的な人間。こんな世界で生きたくないと、ヘビメタ騒音にやられて、不可避的にそうなった俺は、思うだろ。なんで、これがわからない。座頭(仮名)やユキオ(仮名)にあった時点で、ヘビメタ騒音の履歴がつみかさなっている。ヘビメタ騒音にやられた体で動いている。どうして、これがわからない? どうして??
こいつらが、人権を語るのは、ゆるしがたい。こいつらが、人間学を語るのはゆるしがたい。ゆるしがたい。ゆるしがたい。ヘビメタ騒音をやられると、どうしても、そういうことになってしまう。ほかの人がまったくわからないハンディ。障害。なにが、障害児教育だ!! ふざけんな!!! ヘビメタ騒音の障害がどれだけでかいか、わからないのか!!!!!! わからないんだろう。ほんとうに、なめられる。ヘビメタ騒音で、なめられっぱなしだ。普通の人は無視するけど、小学生のときから、ヘビメタ騒音で、なめられっぱなしだ。誤解をうけっぱなしだ。こんなのは、ゆるせない。『生きていたくないな』思うだろ。どうしてこれがわからないのか。どうして?? どうして、わからない。まあ、ヘビメタ騒音というものが、自分の経験したことではないからわからないのだろ。それにしても、ひどすぎる。想像力の欠如。想像力の欠如がはなはだしい。
そういう、特徴は、なにも、座頭(仮名)やユキオ(仮名)に限ったことじゃない。認知療法を振り回すやつ。幸福論を振り回すやつ。ポジティブ思考を振り回すやつ。アドラー心理学を振り回すやつ。精神世界のきれいごとを振り回すやつ。みんなわかってない。
できないからこまっているのに、「そんなのは気にする必要がない」と言う。できないからこまっているのに、「できるようにすればいい」と言う。
どれだけの「努力」と、どれだけの「できない」がつみかさなったか? ヘビメタ騒音のなかで、俺は、死にものぐるいの努力をしてきたんだよ。死にものぐるいの努力をしたって、できなくなるんだよ。どうしてこれがわからない。ヘビメタ騒音をやられると、能力が10分の1になるヘビメタ騒音をやられ続けると、できていたことが、どうしてもできなくなる。どうして、これがわからないのか??