2021年9月21日火曜日

「もっている」側から見て、「もってない」側の状態がわからない。

 あとは、いろいろだ。これ、こっちに書いていいのかわからないけど、ほんとうに、生まれの格差、育ちの格差が、すごい。

すごすぎる。

これ、ほんとうに、人間は自分が普通だと思ってしまうからなぁ。相当に恵まれている人も、自分が普通だと思ってしまう。

そうすると、「パンがなければケーキを食べればいい」というような助言が飛び出してくることになる。助言だよ。助言。パンもケーキもないやつにそんなことを言ってもしかたがないのだけど、両方ともある人は、そんなことはわからない。

両方とも持っているのが普通だと思っている人は、両方とも持ってない人に対する配慮がない。どうしてなら、普通だからだ。持ってないとは思ってないのである。

しかし、パンやケーキといった具体的な物質なら、「もってない」「もっている」ということがわかる。見ればわかる。そして、「もってない」ならパンやケーキがない状態であるということがわかる。「もっている」ならパンやケーキがある状態だということがわかる。

けど、経験ならどうか? そういう抽象的なことに関しては、あるいは、頭のなかにあるようなことに関しては、「もっている」側から見て、「もってない」側の状態がまったくわからない。

「ない状態」というのがうまく想像できないのだ。かりに想像しても、想像の範囲内のことでしかない。それは、現実に経験してみないと、わからない。「どういうことなのか」ということが、自分のこととしてわからない。

ぼくはきちがい的な親とかきちがい親父と言っているけど、きちがい的な親にやられてない人には、きちがい的な親にやられるということの意味がわからない。自分の経験をとおしてわかってないと、不適切な助言をすることになる。

ぼくにしたって、親父のようなタイプの毒親がどういう毒親か知っているけど、ちがったタイプの毒親がどういう毒親なのかはわからない。ちがったタイプの毒親に関して言えば、普通の親を持っている人とおなじように、わからない。

普通の人たちは、きちがい的な親がどういうことをするか、わかってない。きちがい的な親が激しくやったことが、どういう効果を与えるのか、わかってない。同じタイプのきちがい的な親がいない人には、わからない。

説明されても、「そんなことがあるのか」ぐらいの理解度でしかない。

あるいは、やられたことに関して、一応の理解をしても、自分のことではないので、「影響のでかさ」について過小評価してしまうのである。

あるいは、無視してしまう。

「そんなことの影響を受ける必要はない」というような言い回しは、そういう意味で、人間の限界みたいなものをあらわしている。「影響を受けるとか受けないとか、そういうことではない」ということを、かりに僕が言っても、「そんなことの影響を受ける必要はない」と言っている人にはわからない。


*     *     *

極端に恵まれている人でも、自分は極端に恵まれているとは思わずに、自分は普通だと思ってしまうところがある。

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まあ、まとめて言うとだな。物理的な形態を維持しているものに関しては、それがあるとかないということはわかる。見ればわかる。けど、「それがないということがもつ意味」というのは、わからない。それをもっている人には、「それかないということがもつ意味」がわからない。そして、さらに、毒親の行為といった、抽象的なものだと、もっとわからないといううとだ。毒親の態度、毒親の行為、毒親の性格……みんな、毒親にやられてない人は、わからない。「ものがないということがもつ意味」以上に、わからない。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。