「Xをすれば、Yになる」というふうに言ってしまえば、なんとなく、法則性が成り立っているように思える。たとえば、「人に親切にすれば、幸福になる」というようなことを考えてみた場合、人に親切にすれば、「かならず」幸福になるというようなニュアンスがある。しかし、これは、正しいのだろうか?
持続時間のところでも書いたけど、仮に人に親切にして、幸福を感じたにしろ、それは、幸福であると感じる生活がずっと続くことではない。「幸福になる」というのは、日常生活のなかでの時間のうち、かなり長い時間、幸福であると感じているような状態を意味しているのではないだろうか。
ようするに、「幸福になる」と記述された場合は、ずっと幸福な生活が続くようなイメージがある。もちろん、幸福な生活が続いた場合、一日のなかで、幸福だと感じる時間は長いはずなのである。
また、一日のなかで「不幸だ」とか「不愉快だ」と感じる時間は短くなるはずなのである。ようするに、「幸福になる」と記述された場合、その時点から、何日も、何週間も、何か月も、何年も、幸福な生活が続くような印象を与える。
しかし、親切にするということは、かなり短い時間の出来事であり、一回一回、完結するものなのである。ようするに、「親切にした」と感じた時点で、行為のやり取りが完結している。人は、それを一回親切にしたと感じるわけなのである。
それから「親切にする」ということの具体的な内容がはっきりしない。なんとなく、親切にするつもりでやった行為が親切行為なのである。そして、相手がその意図をくみとって、「たすかった」とか「役に立った」と思った場合は、親切にしてくれたと思うだろう。しかし、「親切にする」と軽く言ってしまうわりには、「親切にする」ということがいかなることなのかを、正確には定義できない。
これも、「Xという行為をする」という言い方に書き換えることができる。また、『還元問題』は、ここでは詳細には扱わないけど、主体者は親切にしたつもりだけど、親切にされた人は、親切にされたつもりがないという場合がある。こういう場合、主体者は親切にしたということになるのだろうか? ならないのだろうか?
つまり、行為の「意味」が一意には決まらないという問題がある。親切にされた人と書くしかなかったから、そう書いたけど、親切にされた人というのは、親切にされたわけではないにしろ、親切行為の主体者からはそう思われる人だ。つまり、親切行為の対象になる人のことだ。
ちょっと横道にそれるけど、「ニコニコしていれば、幸福になれる」という場合の「ニコニコする」というのも、還元しておかなければならない。
たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんは、意識的にニコニコしているつもりだった。けど、Bさんから見ると、Aさんがニタニタしているようにしか見えなかった。……こういう場合について考えてみよう。ある人が、ニコニコしているかどうかということを判断するのは、それを見ている人だ。
ニコニコしているつもりの人が決められることではないのである。
「相手」の表情を、別の人がそう判断しているという内容を伴うものだ。もともと、ニコニコするというのは、ニコニコしようと思ってするような行為ではないのだ。自然に、楽しいことを考えて、ニコニコしたり、あるいは、なにか楽しいことがあってニコニコするわけだ。その場合、目的は、ない。*1
しかし、「ニコニコすると、幸福になるので、ニコニコしよう」と思って、ニコニコしている場合は、ニコニコするということが目的になってしまう。それは、作為的な行為であり、楽しいことを考えてニコニコしている場合や、すでに楽しいのでニコニコしている場合とはちがう。
けど、そういうことに鈍感な人は、「しあわせになるために、意識的にニコニコしていること」と「なにか楽しいことがあってニコニコしていること」がおなじことだと考えてしまう。しかし、これは、あきらかにちがうことだ。
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*1 普通、人間がニコニコしてしまう場合は、それ自体が目的ではないのである。友達とゲームをしたら楽しかったとする。ゲームをしているときに思わず(ニコニコしたら)友達から「ニコニコしているね」と言われたとする。この場合も、ニコニコするためにゲームをしたのではなくて、ゲームをしたから、その途中でニコニコするような場面があっただけなのである。友達から、「ニコニコしているね」と言われなければ、ニコニコしているかどうかは、わからない。楽しいとか、うれしいといった言葉で表現される体験はあったと思われる。
恋に恋するという言い方があるが、それとおなじように、本来は「目的」にはならないことが「目的」になってしまうことがある。本当は、誰かを好きになってしまった状態が恋をしている状態なのだけど、恋に恋する場合は、恋をするためにだれかを意識的に好きになるように努力するのである。だれかをあてがって、恋に恋をしている場合と、本当に自然な感情で誰かが好きな場合は、ちがう。恋に恋している場合は、相手(対象となる人)に対して自然な感情がわかないのである。どうしてかというと、本当は相手(対象となる人)が好きなわけではないからだ。