幸福学という学問分野がある。これは、不幸な人に不愉快な感じをあたえる。ダメ出しをしてしまうのだね。しかも、これ、やっぱり、統計的なトートロジーであるような感じもする。
しかも、アンケート調査の結果を統計処理しているわけで、もとは、アンケート調査だ。アンケート調査で拾える領域は小さいのではないか。じつは、生活のなかでは広範な文脈を持つ「出来事」に関して「しあわせだ」と感じたり「ふしあわせだ」と感じたりしているのではないか。文脈は無視されているアンケート調査が基本である限り、文脈は拾えない。ほんとうに必要なのは不幸学。
基本的には、倫理規定に反するような実験はできない。実験が終わったあとの人間関係に影響を与えるうな実験はできない。実験というのはそういうレベルでないとだめなのだ。
これは、どういうことかというと、たとえば、本人が本気で「やめてくれ」と言っているのに、ヘビメタを八五デシベルの音で、一三時間聞かせ続けるというような実験ができないということを意味している。
なのであれば、八五デシベルの音で一三時間聞かせた場合の、からだの状態や精神の状態についてデータを得ることができない。これは、虐待に相当する。そういう問題のある実験はできないのだ。
それとおなじで、ニュートラルな状態での「幸福感」について、アンケート調査をしているだけだ。これだと、たとえば、八五デシベルの音で一三時間聞かせた場合の「幸福感」について調べることができない。正確には、実験して調べることができない。