2021年8月30日月曜日

「しあわせを感じる」という場合の持続時間を問題にしなければならない

「しあわせだと感じること」はかならずしも、しあわせだということではないのである。しあわせだと感じたとして、その持続時間が問題なのである。たとえば、いじめられて自殺を考えている女子中学生が、道で出会った、中年の女性に道を聞かれたので、丁寧に答えてあげたとする。その場合、その女中学生は、中年の女性に親切にした可能性が高い。中年の女性が「ありがとう」とにこにこして言ったとしよう。この場合、その可能性はかなり高くなる。ぼくが、作者なので「還元」はおこなわずに、親切にしたということにしておこう。そして、女子中学生は、一瞬幸せを感じたとしよう。けど、学校に行けば、いじめが始まる。学校に行く道のとちゅう……中年の女性とわかれたあと、どんな気持ちになるだろうか。自分がいじめられるような「学校」に行かなければならないというのは、気持ちが重いものではないだろうか。このとき、自殺を考えている女子中学生は「しあわせ」なのだろうか。ぼくが作者なので、しあわせではないということにしておく。問題は、親切にすればしあわせになる」ということが、そんなには簡単に成り立たないということだ。しかし、ニュートラルな人を集めて、人に親切にしたときに幸せを感じましたか、不幸せを感じましたか、なにも感じませんでしたか? と訊けば、たいていの人は「幸せに感じた」と答えてしまう。ならば、それが、一〇〇%成り立つのか。仮説をたてたとする。「人は、人に親切にしたときしあわせを感じる」という仮説を立てたとする。そして、アンケートでなくてなんらかの心理的な実験を行うとする。その場合、仮説の検定を行う時点で、確率論になる。けど、それを無視して、「人は、人に親切にしたときしあわせを感じる」という仮説は正しいと言ってしまった場合、ある種の誤解がしょうじるのである。

「しあわせを感じる」という場合の持続時間を問題にしなければならないのだ。そして、「くるしく感じる」「いたいと感じる」「かゆいと感じる」「いたがゆいと感じる」「怒りを感じる」「不愉快に感じる」「悲しく感じる」「不安を感じる」といった、ネガティブな感情の持続時間を考えなければならない。一日に一回、一分ぐらいしあわせを感じれば、一日に二三時間五九分、不しあわせだと感じていても、しあわせなのだろうか。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。