顔をダニに刺されたのか、ニキビなのかわからないやつがあるんだよな。むかし刺された感じがする。あのときはかゆくて、いまはかゆみがおさまった感じなんだけど、これ、ニキビなのかな? ぼくは、バターで、ニキビが出る。バターは効果てきめんなのだ。なぜか、マーガリンだと出ない。バターだと出る。
もう、まるまるなら、カネをぱーーっと使って、気にしないようにしようかな。まあ、カネのことだけは気にしないという意味。どのみち、ヘビメタ騒音からはのがれられない。からだの感じがヘビメタ騒音でこまった時とおなじだからね。特に、疲れたときはひどい。あの感じが、復活してしまう。これ、実際にやられてない人は、「鳴り終わったなら関係がない」とか「過去のことなら関係がない」と言うのだけど、関係があるんだよね。関係があるどころじゃないわけ。からだが、おなじわけだから。どのみち、鳴り終わったら関係がないような騒音しか経験してないんでしょ。……人生のなかで……。これはもう、話がちがうんだよ。そういうことを言う人たちがわかってないだけ。けど、そういうことを言う人たちは、自分がまちがったことを言っているとは思わないだろ。それがこまるんだよ。合理的で正しいことを言っていると思っている。けど、経験すればわかる。わかるのだけど、経験してない。だからわからない。わからないところで、自分の経験をもとに、推論して言っているだけだ。自分の騒音経験をもとに、推論して、エイリの騒音経験について判断を下し、その判断に従って、あーだ、こーだと言うわけだ。「それ、ちがうから」とぼくが言っても、彼らは認めない。
俺もう、親父のネズミとかダニとか、兄貴の騒音とか、いやだから。おかあさんも、じつは、のら猫でダニをぶちまけている。どれだけ小さくてかわいくても、入れちゃダメなんだよ。俺は、もう、いやだ。どうして、俺がひとりでいるんだよ。「騒音が終わったから」と言って、働いてくれと言ってきたのは、親友だ。あのとき、騒音、終わって、なかった。そんなことを何回も言われたら、いっしょにいれなくなってしまうだろ。どうして、それがわからないのか。「いっしょにいたくない」と思うよ。どうして、それがわからないのか。