石けんをネズミにかじられた。これ、二個目なんだよね。やっぱり、出てるんだな。
みんな、ほんとうに、幸福論とか言っている人は、きちがい家族がどんなものかわかってない。どれだけこまるかわかってない。わかってない。きちがい家族が、めちゃくちゃに意地をはって、きちがい行為をするんだよ。言いようがないな。被害甚大。親父が残したものって……ネズミの穴と、ネズミの糞と、ナメクジと、ダニだ。おかあさんが死んだとき、「なにかやってほいしことはあるか」なんて言ってたんだよ。それが、これだよ。実際に俺がやってほしいことは、死にものぐるいで否定する。やってくれない。こっちがどれだけこまってたってやってくれない。そのなんていうのかな、頭の回路が、ほかの人にはわからないんだよね。たとえば、「意地になって否定する」と言った場合の、「意地になっている状態」というのが、ほかの人には、わからない。病院の人だって、自分が、親父のそういう姿を目の当たりにすれば、「あんなに強くいやがった人はいない」とかそういうことを言うのに、やられてないうちは、わからない。きちがい親父は頭がおかしい繰り返しというのがある。これが、絶望的なんだよ。悪意がないんだよ。けど、こっちがめちゃくちゃになるようになっている。で、どれだけ言っても、通じない。で、きちがい親父だけではなくて、きちがい兄貴もそうなんだよ。で、きちがい兄貴が夢中になってやったことが、ヘビメタだから、問題がある。
ほかの人にはわからないんだよ。どれだけこまるかわからない。頭がおかしい人の反応というのが、根本的にわかってないんだよな。で、きちがい親父も、きちがい兄貴も、「うちでだけ」そういう反応をするわけ。よその家ではそういうことはしない。だから、よその人がわからないんだよ。そうすると、言っている「こっち」がへんな人だと思われる。「そんなのは言えばいいのに」なんて言われることになる。
きちがい親父の頭というのは、きちがい親父にだけ都合がいいようにできていて、きちがい親父がやりたくなったことは、どれだけ、理由がないことでも、きちがい的な意地でやるんだよ。きちがい的な意地で拒否することもある。やるのを拒否することもある。これも、おなじ。どれだけ何回言っても、オウム返しに否定するというようなことになる。自分のなかに言いたいことがあると、こわれた装置のように、それを言う。相手が、「それだとこまる」と言えば、それは、聞こえない状態で無視して、言いたいことを言う。繰り返し言う。だから、会話が成立しないところがある。
あー、鼻の頭がかゆい。刺されたな。いつもこうなんだよ。
ヘビメタのときだってそうなんだよ。きちがいヘビメタで、こまって余裕がなくなっているのに、きちがいだから、絶対の意地で鳴らす。あと、工事の人が、また……。親父世代でこまるなぁ。俺はほんとうにたたられている。どうしてこんなにうまくいかないんだ」ということが、何千回もかさなって、ぼろぼろになる。そして、張本人が、知らんぷりでこっちがこまることをやる。どれだけ言っても、伝わらない。まあ、工事の人は関係がないけど……これに関しては……。きちがいヘビメタ騒音で睡眠回路が壊れていることは、工事にも影響をあたえている。